銀行員として新しい人生、彼女のビジネスセンスは輝いて |
そして一人クィーンズの安アパートに住み、貯金もまったくないところから再スタート。またまた職探しを始める。
「日本語も英語も語学力には自信があったし、なにしろ度胸はあった。80年代のバブリーだった頃のアメリカだったから、ラッキーなことに、すぐ日本の銀行に営業として勤めることができた。銀行員になって、たった1年か2年で大きな案件を取ってきた。若くて度胸があったからなんだけど、飛行機に乗って、アメリカの超優良企業の重役のところに飛び込みでセールスに行って、売ってきたこともある。」
バリバリなやり手のユキちゃんには、アメリカの銀行から何度もヘッドハンティングの話がきた。しかし彼女は首を縦にふらなかったという。アメリカの銀行に入れば、日本人であることを生かして日系企業を融資の相手にセールスすることになる。ユキちゃんのライバルはアメリカ人のセールスマンだったから、勝負は、アメリカ企業相手のセールスにあったのだという。ところがその後、外資系の銀行へ移ることになる。
「日本が不景気になってきた頃、日本の銀行は不良債権を出さず、処理する方向へと変わった。休みなく、1年じゅう出張で飛び回って徹夜して、かき集めた貸付や、セールスして何年もかけて積み上げたものを、銀行の経営が悪くなったからと一瞬にして売りとばされた。前向きの仕事から、後ろ向きに変わったの。それで日本の経営のしかたが間違ってるって悟った。」
そうした理由で、外資系の銀行に移る。トータルで15年、銀行でセールスマンとして働いた。だが911を機に、いよいよファイナンシャルアドバイザーとして独立することとなる。