日本人のキャリアウーマン<前編> に続き、<後編>をお楽しみください。
一児の母となった後も、主婦としておさまりきれず離婚を決意 |
「一児の主婦でありながらも、翻訳の仕事をしたり、アメリカの法律事務所で仕事したりしてた。駐在員だった前夫はアメリカというのが一時的な滞在先で、すでにアメリカ人として生きていくつもりになってる私とは考え方が数年の間に、ズレていった。結婚後7年目に日本に夫が帰ることになって。日本的な考え方だと、妻は自分を犠牲にして家族のために生きるべきなんだけど、アメリカ人の大学の先生や友人らは、『自分の生き方を曲げて生きるなんて、間違っている。』って、はっきり言い切った。
彼らの言うことって、頭ではわかってるんだけど、自分は母親の背を見て育ってるし、母親が自分の子を手放して生きるなんてとんでもないって、何年も悩んだ。それでも結局は夫の帰国をきっかけに離婚してしまった。自分で生きるって決めた限り、慰謝料も請求しなかったし、親権も失った。その後も葛藤したし、今も思うことは、子供を引き取るべきだったかもってこと。これはどうすべきだったか、私にも一生わからない・・・。」
アメリカで生きることを選んで第二の人生を歩むこととなる。ちなみにユキちゃんは、法律事務所に勤めてた時にグリーンカード(アメリカ永住権)を取得。なぜだか、前夫はグリーンカードを取ろうとしなかった。その時点で、夫婦の未来は消滅していたのかもしれない。