中山王察度の誕生秘話
~天女の羽衣伝説が今も残る宜野湾市~
琉球王国時代の1372年、中部地域の王として初めて中国明朝と公式外交を開いた人物が中山王・察度です。この中山王は、貧しいお百姓さんと天女の間に生まれた子どもであるとの昔話が残っています。これが宜野湾市の羽衣伝説です。
昔、謝名村に奥間子(オクマシー)という若者がいました。奥間子が仕事を終えて、鋤や鎌を洗うために森の川に行くと、美しい着物が池のそばの木にかけてありました。
奥間子は「こんな美しい着物は見たことがない」と着物を家に持ち帰り高倉の中にしまいました。そして再び池に戻ったところ、美しい女性が水浴びをしているではないですか。
池から上がった天女は、大切な着物がないのに気付きます。奥間子は彼女を家につれていき、別の着物を貸してやりました。その縁で2人は夫婦となり女の子と男の子ができました。
ある日、天女は自分の飛び衣が高倉のなかにあることを知ります。長年さがし求めていた着物を見つけた天女は、泣いてすがる子どもたちを残して天に帰ってしまいます。
残された男の子が、後の中山王・察度となり、琉球の国づくりをしたという「察度王誕生の秘話」が今に伝えられています。
天女発祥の地といわれる「森の川」は宜野湾市真志喜にあります。宜野湾市では、この天女伝説をもとに毎年はごろも祭りを開催しているんですよ。今年は8月2日、3日に予定されています。
■宜野湾市観光協会 宜野湾市の観光ガイド
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