■風水を技術的に活用して国づくり

沖縄の庭蔡温さんが行なった施策とは、風水を元にした国づくりといっても過言ではありません。彼は風水を技術の裏付けとして活用したのです。これは、それまでの風水思想にはない考え方でした。中国にも朝鮮半島にもない琉球独自の風水としての発展ではないかと、都築教授はおっしゃっています。

例えば、風水では川は曲がっているほうが良いとされます。直線だと気のエネルギーが一気に流れ出してしまうからです。蔡温さんは、川を曲線にすることで河川の氾濫を防げると考えました。

植林にも努めています。当時の琉球は人口が増えたせいもあって、樹木が燃料として切り倒され、深刻な問題となっていました。そこで彼は、風水を利用して植林を奨励します。このときに蔡温さんが主張したのが「抱護」(ほうご)の思想です。

風水で良いとされる山(気のエネルギーの根本)が少ない琉球で、山の代わりを果たすものとして樹木に注目したのです。

台風の通り道である琉球では、川筋や村の囲い、屋敷・集落、海岸線に樹木を植えることが気候的にも重要となります。

防風林には風をふせぐ役目がありますよね。彼はこれを抱護林と位置付けました。風によって内部の「気」が飛散しないようにするのです。

備瀬のフクギ並木村の配置変えも頻繁に行なわれていたようです。水害や渇水、不作など、集落の「気」が悪いので、村の位置を変えたいとの届出が首里王府に出されると、久米村から風水師がその村に派遣されます。

風水師が配置換えをしたほうが良いと判断すれば、首里王府は村に許可を出しました。面白いことに、配置替えを行なって1年後、元の村落があった場所が「良くなる」場合もあります。するとまた、村落を戻すというケースもあったそうです。

このようにして風水は、琉球においては首里王府から庶民の暮らしに至るまで浸透していきました。しかも、琉球独自の発展を遂げながら……。

都築さんのお話を伺って私がいちばん驚いたこと。それは、昔の沖縄の町並み、家並みの殆ど全てが風水で作られていたということです。

残念なことに、先の大戦で沖縄は壊滅状態になりました。しかも戦後は米軍基地の接収があります。昔の面影を想像することも出来ません。

なお、琉球独自の風水による村づくりの一端を垣間見れるのが、本島北部にある備瀬のフクギ並木です。