一貫して殺意を否認している小林被告と弁護側は、強盗殺人罪ではなく強盗致死罪に当たるなどと主張してきましたので、判決を不服として控訴しました。
小林被告は放火殺人の後、犯行の翌日にもかかわらず、いつもと変わらず会社に出勤しており、犯行後にも借金の原因だった競輪に通い続け、捜査のかく乱を狙ってTV局に犯人を名乗った手紙を送るなどしていました。このような行動からは、重大な事件を起こしたという認識も罪悪感も汲み取ることは難しいでしょう。
弁護団は、「未必の殺意が認定されたのは残念。」と言っていましたが、この事件によって、その後の強盗事件にも大きな影響を与え、模倣犯があとを絶たないことだけを考えても、未必の殺意かどうかなどはどうでもいいのではないでしょうか?
「そんなつもりはなかったがもしかしたら犠牲者が出るかも…。-未必の故意」「殺そうと思った-確定的故意」というのも、小林被告以外にはわかるはずがないのです。否定も肯定も、小林被告の胸三寸。
小林被告が「あくまでも殺すつもりはなかった。」と、強盗致死罪を訴えてみても、亡くなった5人の方々の未来を奪い、その家族を「遺族」にしてしまったのは、まぎれもなく小林被告です。
判決後、控訴を決めた小林被告の主任弁護人、三上雅通弁護士が記者会見にて、こう言っていました。
「死刑判決は遺族にも、被告にも、現時点では解決にならない」
と、要するに控訴の理由です。
死刑制度の問題などはあるかと思いますが、今ある最も重い罪が科せられる、それが放火殺人です。
しかし、何の過失もないのに、ただそこにいたというだけで事件に巻き込まれてしまった、5名の犠牲者の方々と、4名の被害者の方々、そしてそのご家族にとっては、小林被告の死刑判決が「解決にならない」というのは、意味が違うのではないでしょうか?
もしも、私がこのご家族の方々と同じ立場であったなら、極刑にあたる刑は、死刑でも無期懲役でも、「極刑でもあきたらない!」と、思うでしょう。
現代では「仇討ち」や「敵討ち」は許されていません。ですから、「せめて極刑に…。」「何があっても、刑務所から出ることのない」という判決を望むことでしょう。
極刑が言い渡されたのですから、被告側からの「解決にならない」という発言はどうかと思います。
ましてや「矯正は不可能」との判決に、「判決を熟読して、遺族の痛みをもっと理解するだろう」という、小林容疑者の意識の変化をあげていますが、死刑判決を受けても、まだその程度にしか認識していないのか? という疑問を持ちました。
もちろん、控訴をするのも当然の権利。しかし、15日間の控訴期間があるというのに、即日控訴とは…。遺族の方々、被害者の方々の心情を想像すると心が痛みました。
今後、控訴審は高裁で争われることになります。
この事件で亡くなった方々は、どのような判決がくだろうと戻ることはありません。改めて、犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。
そして、この判決によってこのような事件が、少しでも無くなることを願います。
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