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江戸の二大花火師「玉屋」と「鍵屋」……火事で全てを失った?

時は江戸時代、大きな火事を起こしてしまったために全てを失ってしまった人がいる……。今回は、江戸の二大花火師「玉屋」と「鍵屋」のお話をご紹介いたします。「た~まやぁ~」「か~ぎやぁ~」の掛け声。皆さんも、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

執筆者:荒井 健一

<目次>

火事で全てを失った? 二大花火師「玉屋」と「鍵屋」

二大花火師「玉屋」と「鍵屋」……火事の影響を受けたのは?

二大花火師「玉屋」と「鍵屋」……火事の影響を受けたのは?

時は江戸時代、大火災を起こしてしまったために全てを失ってしまった人がいます。
その人の名前は・・・。ヒントは「た~まやぁ~」「か~ぎやぁ~」の掛け声です。

皆さんも、一度は聞いたことがあるでしょう?

実はこれ、江戸の二大花火師「玉屋」と「鍵屋」のことなのです。
江戸時代の夏といえば、蛍狩、蓮見、虫聞き、立版古、夏菓子、などがあり、そのなかでも花火はとても人気がありました。
 

江戸前期の隅田川

江戸前期、隅田川には両国・新大橋・永代に橋が架かっていました。なかでも両国橋はもともと盛り場だったこともあり、夏ともなれば涼み客が集まり、旧暦5月28日から8月28日までは夕涼みの期間とされ、水茶屋や飲食の物売り、見世物小屋、寄席などがあり、夜半まで営業をする許可が出ていました。

両国橋付近は押し合いへし合いの人だかり。隅田川には大小の涼み船と物売りのウロ船に埋めつくされて、その混雑ぶりは船づたいに向こう岸まで歩いていけるといわれたほどでした。

賑やかさも格別だった両国の納涼は、江戸文化を象徴する年中行事だったのです。

その際、両岸の水茶屋や船遊びの客が花火を上げさせたのが名物となり、両国橋の上流には玉屋、下流に鍵屋の花火船がそれぞれ陣取って、夜空に咲く花の華やかさを競い合ったのです。

花火の競演を繰り広げた玉屋と鍵屋ですが、実は玉屋は鍵屋の暖簾(のれん)分けによって6代目鍵屋の番頭をつとめていた清七が独立し、玉屋市兵衛を名乗りました。しかし、技術も人気も玉屋のほうが高く、当時の浮世絵には玉屋の花火船ばかりが描かれました。
 

火事の影響で……廃業を余儀なくされた「玉屋」

弟子の「玉屋」のほうが師匠である「鍵屋」を上回ってしまい、名実ともに「江戸一番」を物にしました。

このような前途洋洋かと思われた玉屋も、天保14(1843)年4月に、両国吉川町(現中央区)の自宅から失火し、空に彩る「火」は自由に操れても、自宅でのほんの少しの油断で起きてしまった「火」は制御不能になってしまい、町並みの半丁ほどを類焼させてしまったのです。折しも12代将軍家慶の日光社参中だったために、特に重い罪に問われることになったのです。結局、玉屋は所払い(追放)の処分を受け、廃業を余儀なくされました。
 

「玉屋」と「鍵屋」の競演にピリオド

こうして玉屋と、戦前まで続いた唯一の江戸の花火屋「鍵屋」との競演はわずか32年でピリオドを打ち、玉屋の偉業は「た~まやぁ~」の掛け声にのみ、その名残をとどめることとなりました。

火薬によって火を操る専門家「花火師」でさえも「火」に裏切られて火災をおこすのですから、我々はもっと気を付けなければいけないですよね。

【参考資料】
年中行事事典/三省堂
江戸の盛り場考(竹内誠著)/教育出版
江戸年中行事図聚(三谷一馬著)/中公文庫
日本人の「しきたり」ものしり辞典(樋口清之監修)/大和出版

【関連リンク】
立版古
http://www.sonoda-u.ac.jp/chikamatsu/t_p/rukaden/
tateko.htm

from 園田学園女子大

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