菱垣廻船「浪華丸」
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エスカレーターから仰ぎ見る「浪華丸」。なかなか菱垣廻船の船底を見るなんて体験はできないと思いますが、その超巨大さには唖然とさせられます。 |
時空館の展示棟に入ったとたんに、目の前に見えてくるのが菱垣廻船の「浪華丸」。国立国会図書館が所蔵する菱垣廻船図面などを参考にして、1999年に実物大で復元されました。復元されたレプリカとはいえ、実際に試験帆走も行われて見事に大成功しています。
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3階フロアから撮影。船内の観客と見比べると船の巨大さが想像できるかと思います。これだけの船を12~15名ほどの乗組員で動かしていたというからこれまた驚かされます。 |
浪華丸の凄さは、その圧倒的な巨大さで、全長約30メートル、高さ27.5メートル、幅は7.4メートルで、帆の大きさだけでも18×20メートル……畳の大きさでいえば200畳分あるというから驚きます。和船は百石船や五百石船など、「石」(米の積載量)でランク付けされるのですが、この浪華丸は「千石船」(約150トンの米を積載可能)という、和船の中でも最大級の規模(江戸末期には二千石級の和船なんてのも存在しますが…)を誇ります。
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上が神棚で、下が仏壇です。当時の船乗りは、まさに命がけの航海で商売をやっていたことがよくわかります。 |
また内部見学が可能で、船内に入ることも出来るのですが、面白いのが神棚と仏壇を同時に奉っているところ。菱垣廻船が大活躍したのは江戸時代ですが、いまほど船の防災技術が発達していなかった時代で、大変、危険な乗り物だったのでしょう。当時の船乗りは、台風や嵐に遭遇すると、神仏に祈ってやり過ごしたそうですが、神さまと仏さまと神仏混交に敬っている部分に、いかにも日本人的な宗教観が垣間見えます。
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ちょんまげ姿のスタッフが船内をご案内。江戸時代の雰囲気たっぷりです。 |
いまでは陸運が中心で、大型トラックなどで日本全国各地の産物を運んでいますが、江戸時代には海運こそが流通システムの主流でした。「天下の台所・大坂」を支えて、「北海道のコンブと土佐のカツオを併せて、だしを取る」という大坂名物の食文化が生まれたのも、こうした海運の存在が背景にあります。