3度目の結婚で3度目の正直!?
では吉田との離婚の原因になったとされる、3番目の妻KEIKOと小室容疑者はどのような歩みを重ねてきたのでしょうか。二人の出会いは小室容疑者が華原朋美をデビューさせた時期と同じ1995年。
「華やかな3度目の結婚式、でもその影では・・・」 |
小室容疑者が主宰するイベント「EUROGROOVE NIGHT」内で開催されたオーディションにKEIKOが出場したことがきっかけでした。
その後、2人はもう1人のメンバーを加えてglobeを結成。1995年8月の1stシングル「Feel Like dance」はオリコン初登場3位を記録しました。
この当時のKEIKOは、globeのメンバーとして、小室容疑者の華原との恋愛や吉田との結婚を、傍観していたような存在だったのかもしれません。KEIKO自身は1999年当時はフォークデュオ「ゆず」の北川悠仁と交際をし、「’99年芸能界ネイル・クイーン」の授賞式の際には「交際は順調です。彼に食事を作ったり、部屋の掃除をしてあげたりしています」とコメントしていました。
ところが、2001年の年末には二人の破局が報じられ、その時期は、吉田が小室容疑者とKEIKOの浮気を指摘したタイミングと重なっています。このことから、長い間バンドのメンバーというだけの関係だった二人が、この時期に急速に接近したことがうかがえます。
そして小室容疑者とKEIKOは2002年11月に結婚。その費用は5億円といわれ、披露宴の様子がTVで中継されるなど華々しいものでした。
ところが、その一方で小室容疑者のビジネスの方は順調とはいえませんでした。
自らが設立した会社「ロジャム」は2002年に香港株式市場への上場を果たすものの、業績を上げられず、2004年には多額の負債を抱えて撤退。
小室サウンドもかつてのようなヒットが望めなくなり、次第に小室夫妻は資金繰りに困ってきたと伝えられています。2008年3月にはKEIKOはKCOとしてソロ活動を再開。夫を経済面でも支える動きを開始していました。
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