年を重ねてもラブラブ夫婦っているのです。
以前、「きみに読む物語」という本を読んだ感想を書きました。結婚年数60年、その間ずっと「一緒にいたい、触れていたい、全身全霊をかけて愛している」と思い続け、相手の存在を大切に思った夫婦の物語です。「外国の夫婦だから、年をとっても愛を表現できるのよ」と言えばそれまでです。日本にもラブラブ夫婦は存在します。要はお互いの気遣いの問題です。わたしの運営する夫婦仲相談所には、60代、70代の方々もいらっしゃいます。
その中で「わたしたちは、今でもラブラブです」と断言する方に、その理由を尋ねてみました。日常の生活から「飽き」と「慣れ」をなくす事、いつまでもエロスを感じさせる異性であり続ける事、大変参考になるお話を聞く事ができました。
Mさん(60代 だんな様)のお話
妻の普段の心がけ次第という観点にすれば、いつまでも夫が恋心を抱き続けるための要は、「見せずに小出しする」ことです。「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」といいますが、この「飽きる」「慣れる」をなくすことです。
「こんな場所でのんびりと」 |
その「何か」(ふとした表情やしぐさ、身に着けた衣装姿など)を見つけるのは夫の役目です。
妻も、それを夫から見つける努力が必要です。私たちは別々にお風呂に入りますが、妻が入っているときは「入浴中」の札がかけてあり、中を覗くこともできません。トイレはいつ行っているのか判らず、「おなら」もトイレでしているようで、トイレ内はいつも清潔に保たれています。
そして、「私はトイレでは真珠を出しているだけえ」と、京女の妻は言い、私に嫌なところ、かっこ悪い姿を絶対に見せません。いつも寝室を整え、セックスの際には、すこしずつ肌を見せ、触らせてもらえるだけです。私はまだ1度も妻の全裸を見たことがありません。
常に妻がいきなり全裸になっていたら、見飽き、見慣れているので、エロチックな感覚が薄れ、夫は萎縮してその気がなくなるでしょう。私の妻はいつもお風呂から上がると、タオルで髪と体とを包み覆い、半ばしゃがむかたちになって、輝くような顔と肌を突然見せるのです。私は瞬間的にハッとして、その若々しく新鮮な表情と姿、初々しくつやっぽい様や行動に驚き、思わず見とれてしまいます。
そのときの妻といえば、まさしく新婚当時がそのままで、私はそんな妻に、60半ばを過ぎた今でも恋心を抱き続けています。