前回書いたように、昭和30年代は、さまざまな便利な家電や商品が、家庭の中に急激に入ってきた時代でした。暮らしが豊かになってきたことがその根本にはありますが、もう一つの理由は「暮らしの洋風化」。戦前には限られた家庭にしかなかった西洋風ライフスタイルを、庶民もこぞって取り入れるようになってきたのです。

泣ける! 昭和の台所。ジントギやタイルの「流し」(c)「はすぴー倶楽部」はすぴーさん(葛飾柴又寅さん記念館)

最初にテレビがやって来た!

人々が最初に手に入れた家電は「テレビ」でした。昭和34年の皇太子ご成婚をきっかけに、多くの家庭が、まだ高価だったテレビを「月賦」で購入。そのテレビが放映した人気コンテンツの一つが「アメリカのホームドラマ」でした。『パパは何でも知っている』などのドラマに映し出される大きな冷蔵庫、広々としたリビングやしゃれたキッチンは、人々の憧れでした。 





憧れの団地のキッチン。モノが増えていますね(c)「はすぴー倶楽部」はすぴーさん(松戸市立博物館)

暮らしが洋風になってきた

やはり昭和30年代なかばに出現した公団の共同住宅は、「ダイニングキッチン」という新しい概念をもたらしました。寝食分離の洋風の生活様式によって、次々に新しい家財道具や生活雑貨が家の中に入り込んできます。ダイニングテーブルにチェア、ベッドにソファ、トースター、ジューサー、洋食器や各種グラス、カトラリー類‥‥。





リビングじゃなく茶の間。「和の暮らし」そのまんま。(c)「はすぴー倶楽部」はすぴーさん(荒川ふるさと文化館)

洋風化するとモノがどんどん増えた

こういった目新しいモノたちは、右肩上がりに増える所得と相まって、人々の暮らしの目標であり、頑張った証でもあったでしょう。しかし、決して広からぬ2DKがその舞台です。洋風化されてきたとはいえ、基本となる和の生活を捨てたわけではありませんから、人々は二重にモノを持つ羽目になりました。従来和食器だけで足りていたところに、洋食器の数々を。和食には必要のなかった調理器具を。畳と布団とちゃぶ台があればこと足りた空間に、さまざまな家具を、またたくさんのモノを収めるために、収納家具を買い足して‥‥。