
一人だから孤独を感じることもあれば、一緒にいるからこそ孤独を感じることもあります。
むしろ後者の方がキツイことは多いもの。パートナーと20年以上共に生活をしている人の中で、「一人でいるよりも孤独」だと感じ、離婚を決意する人は少なくありません。そこにはどんな背景があるのでしょうか。
話しても無駄だと感じる孤独
「一緒にいるからこそ孤独を感じる」のは、どういう状態なのか。例えば、次の3つのような状態です。
- 一つ屋根の下で暮らしているのに、パートナーと心がつながっていない。
- 「話しても分からないだろうから、言っても無駄」だと諦めてしまっている。
- けんかになると面倒だから、いつも自分の方が折れて我慢している。
誰かといても孤独を感じるとき、人は「自分の存在理由の喪失」を味わっていることが多いものです。それは、耐え難い苦痛です。
「それなら、我慢して一緒にいるよりも、一人になった方がマシ」だと感じてしまうのは当然のことなのです。
特に子どもが自立し、もともと共働きで、精神的にも経済的にも一人で生きていける場合は、「一緒にいる意味」を感じなくなるので、離婚へと向かいやすくなるでしょう。
還暦世代の夫婦の問題点
熟年離婚をする60代前後の世代は、いまだ「結婚したら、妻が家事をやるのが当たり前」という価値観を持っている人が少なくありません。
さらに、現代では死語になりつつある「嫁をもらう」という言葉が当たり前のように使われていた時代に結婚しているので、妻を「一人の人間」として尊重するよりも、「自分のもの(所有物)」だといった感覚を持っている夫も少なくありません。
例えば、妻は還暦を過ぎて体力が落ち、体がキツくなってきているのに、これまで日中は家にいなかった夫が、定年退職後は家事を何もしないで一日中家で過ごし、「自分の世話をしてもらって当然」という態度をとる場合は、「これ以上、この人のために自分の人生を費やしたくない」と限界を感じるのは、当然の心理です。
熟年離婚における財産分与は、原則として婚姻期間中に築いた共有財産を「2分の1」ずつ折半できます。「定年を迎え、これから大きく貯金が増えることも期待しにくい夫の世話をし続けるのであれば、退職金の半分を受け取って第二の人生を歩もう」と考えても、不思議ではありません。
「一緒にいることの必然性」は必要
結局、どんなに長く共に過ごした夫婦であっても、「一緒にいることの必然性」は必要です。
その必然性が何なのかは人によって違いますが、この3つは比較的どの夫婦にも当てはまります。
- 相手がいることで生活が助かる。
- 毎日、コミュニケーションをきちんと取っていて、一緒にいて楽しい。
- 相手に人として尊敬できるところがあり、一緒にいる意味を感じている。
子どもが自立するまでは、「お父さんとお母さんがいる環境で育ててあげたい」と思う人は少なくないのですが、子どもが巣立ったときは、夫婦の関係において、「一緒にいる意味」が必要となってくるのです。
熟年離婚は悪いことではない
離婚を決断する人は、突然決めたわけではありません。「話しても無駄」「どうせ変わらない」と、何年、何十年も我慢し続けた先にある「結論」であることが多いでしょう。
だから、子どもが独り立ちしてからようやく「夫婦の関係」を考えようとしても、もう遅いことは多いのです。
そう簡単に分かり合えないことは多いし、むしろ、一度離れてみて、互いに改めて「相手の必要性を感じる」ことがない限り、人は簡単には変われませんし、夫婦関係も改善しにくいでしょう。
夫婦はなぜ一緒にいるのか
共に年を重ねると、病気や介護など、互いに支え合わなければならない場面も増えてきます。それでも、パートナーの最期まで共に人生を歩みたいと願う夫婦も少なくありません。
もちろん、最初から「介護をするための結婚」だったら、誰だってつらく感じるもの。それでも「支えたい」と思えるかどうかは、長い年月の中で培ってきた「愛情」「感謝」「信頼」があってこそ。その積み重ねが、「最期まで自分がそばにいたい」という気持ちにつながるのです。
「一緒にいる意味」は、結婚した瞬間に完成するものではありません。日々の会話や思いやり、相手への敬意によって育まれていきます。
長い夫婦生活の中で大きくなったのが「愛情」なのか、「孤独」なのか。
その違いが、人生の後半における夫婦の選択を大きく左右するのでしょうね。







