SNSに時間をとられて体調不良に
「いつの間にか、気付くといつでもスマホをいじっている日々になっていたんです」ケンヤさん(35歳)はそうつぶやいた。スマホで見るのはSNSだ。投稿したり友人の投稿を見たりしているうちはよかったのだが、友達の友達が自分に批判的な投稿をしていると知ったときから、エゴサが始まった。さらに友達の友達の、そのまた友達まで追って見るようになり、徐々に疲れがたまっていったという。
「ふと気付いたら1年近く、自分が人にどう見られているかとか、自分の投稿にはなぜ“いいね”が少ないんだろうとか、思うようにならないいらだちに苛まれるようになっていた。今年のお正月、久しぶりに実家に戻って数日過ごしたんですが、田舎の風景とゆっくり流れる時間に癒やされました」
同じように故郷に帰っていた同級生たちに再会、実際に顔を合わせてしゃべる時間は貴重だと痛感した。
アカウントを全て削除
「社会問題や政治問題などもSNSから情報を得て、そのつど怒ったり嘆いたりしていました。同級生たちにそういう話をしたら、『もちろん情報を得るのは大事だけど、気持ちをもっていかれるのは違うんじゃないかなあ』『ハマると抜けられなくなるよね、分かる』という意見ももらった。疲れてるならSNS断ちすればいいじゃん、と言い放った同級生女子がいたんです。それもありだよねと思いました」とはいえ、長年登録していたSNSのアカウントを削除することにはためらいがあった。情報弱者になるのではないか、置いてけぼりになるのではないかといった恐怖も体の奥から湧き起こってきた。
それでもあえて、SNSのアカウントを全て一気に削除した。ニュースサイトが見られなくなるわけではないし、友人とはチャットアプリでつながっている。一般人の自分の発信がなくなっても世の中は何も変わらないと分かった。
「あれ、そうだった?」と友人に言われて
しばらくたって学生時代の友人たちと飲み会で会ったとき、SNSアカウントを全て削除したと話すと、「あれ、そうだったの?」という声が出た。「なんだ、誰も見てなかったのかと思いました。友人たちが時々“いいね”をしてくれてはいたけど、『あ、知り合いが何か書いてる。とりあえず、“いいね”しておこう』という感じなんでしょうね。自分が批判されていると感じたのも思い違いなのかもしれない」
SNSに煩わされなくなったら、「仕事の時間以外、急に暇になった」とケンヤさんは言う。ある週末、自宅近くの図書館に行ってみた。1週間分の新聞を読んだり雑誌を片っ端から見たりし、本を借りて帰った。
「週末はジムにも行くんですが、いつもは顔見知りと帰りに1杯という話になっても僕は急ぐのでと帰っていた。でもなんだか人恋しい気持ちもあって、何人かのグループでの飲み会に入れてもらったんです。1時間くらいいて、いろいろ話して、じゃあまた来週とあっさり別れていく。これが楽しくて。つかず離れずちょうどいい距離感がある」
生活がガラッと変わった。独身のため食生活も適当だったのだが、自炊する機会も増えた。無理のない範囲で、自分の食べたいものと栄養を考えながら作るのが楽しい。
「ネットで動画を観ながら作るのもいいけど、わざわざ図書館でレシピ本を借りてきたりもする。レシピ本は動画より分からないところも多いけど、そこは自分で考える余地があるんですよね。とにかく合理的にと思ってネットに頼ったりSNSで全て分かった気になっていたけど、それはむしろ自分で考えることを放棄していたのかもしれないと思うようになりました」
早めに出社して新聞を読むように
そんな生活を始めてまだ1カ月半ほどしかたっていないが、不思議と焦燥感やいらだちは消えていった。今は少し早めに出社して、まず新聞を読むようになった。「小さな会社ですが、一般紙と業界紙が毎朝届きます。これまでは社長の机の上にポンと置いておいたんですが、今は社長に許可をもらって真っ先に目を通す。社長が来たら、今日の新聞をネタに会話が弾むようにもなりました。それが僕の小さな変化かなあ」
ネットがいけないわけではない。使い方の問題なのだろう。彼自身は「少なくとも、僕はSNSには向いていないと分かった」と言った。
「どうしてもやりたくなったら、またアカウントを作ればいいと思えば別に焦る必要もありませんしね。今まで翻弄されていたなというのが現在での本音です」
自分が疲弊していると感じたら、「さて」と立ち止まってみることも必要なのかもしれない。SNSが生活を大きく占めていたことを考えると、「今は新生活を送っている感じ」だとケンヤさんは笑う。人にもよるが、1度遮断してみる勇気も必要なのかもしれない。








