人間関係

「離婚できないなら死にたい」結婚40年の夫と熟年離婚した69歳女性の“家が全て”だった人生

結婚40年の夫との離婚に踏み切った69歳女性。90代の義母を自宅で見送り次は夫だと思った瞬間、体が震えた。「離婚したい。できないなら死にたい」たとえ野垂れ死ぬことになろうとも、女性の決意は揺るぎないものだった。※サムネイル画像:PIXTA

亀山 早苗

亀山 早苗

恋愛 ガイド

どうして男女は愛し合うのか、どうして憎み合うのか。出会わなくていい人と出会ってしまい、うまくいきたい人とうまくいかない……。独身同士の恋愛、結婚、婚外恋愛など、日々、取材を重ねつつ男女関係のことを記事や本に書きつづっている。

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たとえ野垂れ死んでも、夫と一緒のお墓には入りたくない(画像:PIXTA)

たとえ野垂れ死んでも、夫と一緒のお墓には入りたくない(画像:PIXTA)

熟年離婚の中には、老いて初めて離婚することを思いつめるケースもある。自らもそれほど先が長くないと分かったとき、人は自分の正直な思いを実感できるのかもしれない。

婚約者に裏切られ夫と結婚

結婚して40年。古希を前に、それでも離婚に踏み切ったシホさん(69歳)。夫とは親戚の紹介で出会った。簡単な見合いのようなものだった。当時、結婚を約束していた人にいきなり裏切られ、自暴自棄になっていたシホさんは、夫となった人にすがりつくように結婚を決めた。

「婚約者が私の友達と浮気したんです。発覚したとき彼は、謝りもしなかった。仕方がなかった、自分にそんな気はなく、向こうが色仕掛けだったと言い訳をしました。認めて謝罪してくれればまだ考える余地はあったけど、彼女のせいにしたのが許せなくて。傷心の私に、『オレについてくれば間違いはない』と言った夫の言葉に流されました」

だが結婚生活は決して楽しいものではなかった。夫の両親といきなり同居、両親が経営する飲食店を手伝わなければならなかった。シホさんは、ある国家資格をもって仕事をしており、結婚後も続ける予定だったのだが、「親を手伝うのが当たり前」と夫に一刀両断された。

家政婦のように働き続けた

「その後は、家業に義両親の世話、3人の子育て、さらには義両親の看病、介護。夫の姉が離婚して子連れでなだれこんできたり、その子が荒れて何度となく警察につかまったり……。さまざまなことが私に任されました。夫は全て他人事のようだった」

いつか離婚してやる。それだけを支えに、まずは子どもを最優先した。夫は家事1つ手伝うこともなく、忙しいシホさんに「靴下を履かせて」と言うような人だった。靴下を履かせ、玄関で跪いて靴ひもを結ぶ。そうしないと出かけていかない。

「組織で働く身にもなれ。どれほどつらいか考えろというのが夫の言い分でした。1度だけ、『立場を交換してみたいわ』と言ったことがあります。すると夫はフッと鼻で笑って『おまえがしていることは誰でもできることじゃないか』と。ああ、やっぱりそう思っているんだなと分かりました」

夫がそんなだから、義両親もシホさんを家政婦のように扱った。特に寝たきりに近かった義父は、呼べば来るロボットだと思っていたのかもしれない。

義母を見送った後に

義父を見送り、5年前には90代の義母も見送った。施設に入れることもなく看取ったが、亡くなる3日前、義母はシホさんの手を握り「あんたはかわいいね」と言った。

「私を私と認識していたかどうか分からない。義姉と勘違いしたのかもしれない。でも義姉はまったく親の面倒は見ていませんでした。ありがとうとは言われなかったけど、かわいいねと言った義母の目はしっかり私を見つめていた。認知症はほとんどなかったから、私は義母に認められたんだと思いました。それを謝罪と感謝の言葉だと受け止めた。そうでもしないとこの家での40年が報われませんから」

そして見送ったあと、次は夫だと思った。その瞬間、「絶対に無理、嫌だ」と体が震えたという。義両親は嫌々ながらも介護できたのに、夫の介護を想像しただけで吐きそうになったのだという。

「夫の介護をするくらいなら死んでしまいたいとさえ思いました。しかも私が死んだら、義両親や夫と同じお墓に入れられてしまう。それは避けたい。あえて直接的に言いますが、夫が死んだら私には自由があるけど、夫が死ぬまでは待てない。私自身の人生もあと何年あるか分からない、体の自由が利くうちに自由になりたい。自分の人生を生きてみたいと痛切に思いました」

3人の子どもたちに「離婚したい。できないなら死にたい」と本音をぶちまけた。おとなしくて優しくて働き者だった母親に、これほどの情熱があるのかと子どもたちは驚いていたそうだ。

封印してきた気持ちがあふれ……

「都内で暮らす子どもたちが部屋を用意してくれた。少しずつ貯めてきたお金をもって、ある日、置き手紙をして家を出ました。これで夫の顔を見なくてすむかもしれないと思ったら、うれしくて涙が止まらなかった。封印してきた自分の気持ちが、パンドラの筺を開けたようになって」

幸い、健康には恵まれていた。すぐに飲食店のパートを見つけて働き始めた。長年やってきたことだから仕事をすぐに覚え、店主とも仲よくやっている。離婚に関しては子どもたちに任せてしまった。1年かかって子どもたちは離婚届を持ってきてくれた。

「自分で決着をつけられなかったことに後悔はあるし、子どもたちに申し訳なかったとも思いますが、どうしてももう夫の顔を見る気になれなかった。一時期は夫の顔を思い出しただけで吐いていました」

貯金とわずかな年金、そしてパート代。子どもたちの支援は受けず、なんとか頑張っているシホさんだが、「今が一番幸せ」だと晴れやかに笑う。ときには子どもたちと食事をしたり、パート仲間とお茶をしながら語らったり。結婚しているときは「友達」などまったくいなかった。“家”が全てだった。

「美容院は高いから、今日は自分で髪を染めるんです。もうちょっと明るくしようと思って。そういうのも楽しみの1つね。夫がいたら大反対されるのが目に見えてるから」

人は「自由」を確保すると明るく若返るのかもしれない。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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