『眠れなくなるほど面白い 図解 昭和の話』(町田忍監修)は、庶民文化研究の第一人者の監修で、図解と豊富な資料写真も交え「昭和の本当の姿」を伝えています。今回は本書から一部抜粋し、そのような時代の学校をひも解きます。
高校進学は当たり前じゃなかった? 学歴と家庭のリアル
中学を卒業すれば高校に進むのが当然―そうなったのは比較的最近のことです。昭和30年代(1955年~)の日本では、高校進学率は5割程度で、中学卒業と同時に就職する子どもが多くいました。進学するかどうかは、家庭の経済力や事情に大きく左右され、進路は選べるものではなく与えられるものだったのです。都市部では進学率が高めだった一方、農村部や地方では子どもが労働力として期待され、高校進学をあきらめざるをえない場合も少なくありませんでした。特に男子は就職、女子は家業の手伝いに回るケースが目立ちました。
しかし、昭和40年代(1965年~)に入ると高度経済成長の波に乗って進学率は急上昇。50年代(1975年~)には8割を超え、60年代(1985年~)にはほぼ全員が高校へ進学するようになりました。家庭では「どの高校に進むか」が話され、中学の役割も就職斡旋から進学指導へ移りました。
>高校の進学率の推移を見る
このような高校進学率の上昇は、経済成長と教育政策の広がりが生んだ社会変化でした。昭和前期において、学歴は家庭の事情で決まるものだったのに対し、昭和後期には努力で切り開けるものへと価値観が変わっていったのです。進学率の数字の裏には、家庭ごとのリアルな格差と時代の空気が存在しました。
え、それ本当? 実は「誤解だった」昭和の歴史教育
昔の教科書で習ったことが、今では間違いとされている―そういった例は多く見られるものです。たとえば昭和の歴史教育では、研究が進む前の説が多く含まれており、現代とは大きく内容が異なっています。 その代表が神風の解釈です。かつては、「蒙古襲来の際に神風が吹き荒れて日本は勝利した」と教科書に記載されていましたが、実際には暴風雨が影響したものの戦自体は引き分けに近く、日本の勝利と断言できるものではありません。こうした以前の解釈は、現在の実証的な歴史研究によって修正されています。また、鎖国も同様です。かつての教科書でも、長崎の出島で中国・オランダと貿易していたことは教えていました。ただ、その扱いは例外として示されることが多く、日本が外国と断絶していたような印象を与えていました。現代では限定的な国際交流があったことが重視され、「鎖国」という表現自体も見直されています。
さらに、日本最古の貨幣は和同開珎とされていましたが、現在では富本銭が最古であることが明らかになりました。士農工商という身分制度についても、実際には明確な身分の序列は存在しなかったことがわかっています。昭和の時代に正しいと信じられていた内容は、現代の研究成果によって再解釈されているのです。
町田忍(まちだ・しのぶ)プロフィール
1950年東京都目黒区生まれ。和光大学人文学部芸術学科卒業。在学中の博物館実習をきっかけに博物学に興味を持つ。卒業後は約1年半、警視庁警察官として勤務したのち、庶民文化における風俗意匠を研究。チョコレートや納豆ラベルなどのパッケージ収集は2000枚を超える。著書に『戦時広告図鑑』(WEVE出版)、『納豆大全』(小学館)、『町田忍の銭湯パラダイス』(山と渓谷社)など多数。現在はエッセイスト・写真家・庶民文化研究家として幅広く活躍。








