「私、せっかちなのよね」と言ったとき、周りの友人から「え、あなたほどのんびりした人はいないと思っていた」と言われてビックリしたと知人が語っていた。自己評価と他人からの評価が著しく異なると衝撃は大きい。
ふだんとのギャップが大きかったときも、周りの評価は分かれるだろう。ふだん穏やかに見られている人ほど、キレたときは「あの人があそこまで怒るのはよほどのことがあったからだ」「怒らせた方が悪い」というものと、「意外と地雷を抱えているタイプだったんだ」というものと……。
穏やかな上司が突然、キレて
「40代後半の男性上司は、いつもにこやか、穏やかで声を荒げたこともない。その彼が、あるときいきなりキレたんです。私の同僚がちょっとした凡ミスをしただけで。上司に書類上のミスを指摘された彼は言い訳をしたわけでもなく、謝ってすぐ修正を始めようとしたんですが、『だいたい、おまえさ、仕事への姿勢がなってないんだよ』と上司が大声を上げた。同僚はまじめに仕事をするタイプだから、周りも『あれ?』と感じたようです」シュウコさん(36歳)は、職場で起こった“穏やか上司激怒事件”を話してくれた。そもそも部下を「おまえ呼ばわり」したことがなかったので、上司の第一声から周りは違和感を覚えたという。その後も上司は萎縮する同僚に向かって、「おまえみたいなヤツのことだよな、小学校からやり直して来いと言いたくなるのは」「人としてダメ」など言いたい放題だった。
「周りは呆然とするしかなくて。そのうち、一人でヒートアップした上司は、何かにハッと気づいたようになってどこかへ去って行きました。その日は終業時間まで上司を見た人はいません」
職場内の評価は分かれていた。あの上司があそこまで怒るのは、部下である彼が何かもっと大きなことをやらかしていたからではないか、あの時点まで上司はひたすら部下をかばってきたのではないか……。一方で、あの状況だけで見るなら明らかに上司のパワハラ。人としてダメなんて言ってはいけないことまで言っている……。
ことの真相は……
「ただ、その後、私は同僚の秘密を知ってしまったんです。同僚には他の部署に恋人がいた。でもその彼女、うちの上司と不倫関係にあった。それを知った同僚が『不倫は幸せになれない。僕とつきあおう』と彼女の気持ちを変えさせたんですって。不倫とはいえ、上司はその彼女にけっこう夢中だったらしく、愛人を奪った部下に激怒した、ということです」シュウコさんが親しくしている同期女性が彼女の相談相手だったそうで、「彼が悪いわけじゃない。あれは上司の逆恨み。今だから話す。内緒にして」と打ち明けたという。
結局、その件は当事者たちが真相を話さず、シュウコさんも口をつぐんだために公にはならなかった。その後、上司がみんなの前で「言い過ぎた。ちょっとどうかしていた。申し訳ない」と謝ったため、周りも納得してことを荒立てなかった。そして上司はいつものような穏やかな人に戻った。
「でも、つきあっている女性を奪われたのを根に持って逆上した上司が、なかなか人間臭くていいんじゃないのと私はひそかに思いましたけどね」
周りの思惑と真相との間には大きなズレが生じることがあるものなのだろう。
我慢が習い性になっていた
ふだん穏やかな人がキレる背景には、本人がずっと我慢してきてついに限界を迎えたという場合もある。「うちの母がそうでしたね。父がわがままな人で、母には甘えからなのか暴言を吐いていたこともあるし、どんなに母が忙しそうでも手伝いもしなかった。あるとき小学校高学年になっていた兄が学校でいじめられたことを母は父に報告、このままだと息子がダメになる、なんとか手を打ちたい、一緒に学校に相談に行こうともちかけていたんです。でも父はどうもその気がないらしく、『いじめられる方が弱いからいけないんだ』と言いだした。そのとたん、母がキレました。あんたは子どもを大事に思ってないのかと。売り言葉に買い言葉で、父が『おまえはオレと子ども、どっちが大事なんだ』と叫んだ。母は『子どもに決まってるだろうが。この分からずやのバカ男!』って。私は小学生でしたが、ひっくり返るほど驚きました」
笑いながらそう言うミナさん(38歳)。あのときの母のキレ方はすさまじかったと振り返る。母はもともと穏やかで従順なタイプだとばかり思っていたが、決してそうではなく、家庭内に不和を起こさないために我慢し続けていたのだろう。その我慢が、ついに限界を超えたのがあの日だった。
二人の子の手を引いて家を出た母
「父は母の怒鳴り声に怯んでいましたが、口ではかなわないと思ったのか母を平手打ちしました。生意気なことを言うな、誰に向かって言ってるんだと。すると母は『おまえこそ父親の資格なんかないだろうが』と言いながら殴り返したんですよ。10数年にわたる結婚生活、黙って耐えてきたのが、ついに爆発した瞬間でした」母はその後、二人の子の手を引いて家を出た。実家で親と暮らしながら仕事を見つけ、10年後にはその会社始まって以来の部長職に、そして現在は取締役にまで上り詰めた。
「父が泣いて戻ってきてくれと言っても母は戻らず、離婚に突き進みました。我慢の限界を超えると、人は元には戻らないと私は学んだものです。でも私は我慢せず、相手ときちんと話し合いながらともに歩む夫婦を目指していますけどね」
キレて素が出たところから自力を発揮した母親はたくましいと思うけどと、ミナさんはつけ加えた。