海外経験ゼロでも異文化理解ができる理由
宮城県気仙沼市に住む太田さん(仮名・40代女性)は、地元で生まれ育ち、これまで一度も地元から長く離れたことはない。国内で短期間出張したことはあるが、海外経験はゼロ。東北弁の強いなまりと、いつも笑顔で誰とでもきさくに話す彼女はとてもチャーミングで、周りからも「太田さんはいつも愛想がよくて、本当に誰とでもうまくやれる人」と好評だ。
ただ、太田さんは「誰とでもうまくやっているなんて、とんでもないですよ。私は相手に遠慮せず、必要だと思ったことはなんでも正直に話すタイプなので、ひそかに嫌われていると思います。衝突することもないとは言えないですよ」と謙遜する。
太田さんいわく、地方には昔から続く人間関係が根強く浸透していて、上下関係がはっきりしていることが多く、そしてそこに家柄や職業、資産の有無などのさまざまな要素が入り込んできて、複雑に絡み合っているという。ご近所付き合いもあるため、一見距離感は近そうだが、実際は“見えない境界線”があるそう。
「できることなら誰とでもうまく付き合いたいですけど、残念ながら難しいですよね。どれだけ仲のいい人と話していても、何か裏があるんじゃないか、本音ではないんじゃないかと疑ってしまうことはあります。だから相手の顔色をうかがって言うことを変える人が多いのではないでしょうか。私はそういうのが嫌で、言いたいことがあれば自分の意図をできるだけ隠さずに、正直に相手に話をすることにしているだけですよ。うまく意図が相手に伝わらないと、相手は自分のテリトリーが侵害されたと思って、あからさまに嫌な顔をするのですぐに分かります」
太田さんは、上下関係や家柄、お金といった目に見えない“境界線”が残る地方コミュニティーで、相手を疑う風土に違和感を持ちながら、できるだけ正直にコミュニケーションを取ってきた。自分の意図を隠さず、時にぶつかっても相手と誠実に向き合う態度こそが、“異文化理解”の本質ではないだろうか。
言葉だけではない“歩み寄り”の重要性
ちなみに、気仙沼市は震災後、復興を遂げていく過程で多国籍の若者を受け入れてきた。盛んな漁業と水産加工業に従事するスタッフ間では、実にさまざまな言葉が飛び交っているという。太田さんは英語が話せないが、東北弁と身振り手振り、少しの英単語などを交えて、毎日5カ国語以上のあいさつをこなしている。
「どれだけつたない表現でもまずは声をかけ、気持ちを届けることが大切だと思います」と太田さん。相手の力になりたい、親しくなりたいという本心が伝われば、相手にも聞く姿勢が生まれ、歩み寄ってくれる。頭でっかちになりすぎず、まずは行動することが大切だという。
実際、外国出身の若者たちも太田さんの誠実な姿勢に心を開き、関係は良好。職場の雰囲気はとても明るいという。言葉や形式だけに頼らず、相手への敬意と積極的な歩み寄りが、異文化理解において本当に不可欠なものなのだろう。
海外経験があっても異文化理解できない人の特徴
太田さんのように海外経験がなくても異文化理解ができる人がいる一方で、海外経験が豊富でも異文化理解ができない人もいる。例えば、日本人同士でも世代間や性別、出身地域、学閥など身近な「違い」を乗り越えられない人は、海外でも同様の壁につまずきがちだ。海外経験や語学力自体は異文化理解の必要条件ではなく、柔軟さや好き嫌いの度合い、“自分の集団”にとどまらず、いかに他者の境界線を越えられるかが重要なポイントとなる。強いこだわりや同質性への依存は異文化受容の妨げになりやすい。
異文化理解とは「環境に応じて対応する力」
異文化理解力とは、環境に合わせて自分を変えられる力のことだと筆者は考える。カメレオンが色を変えるのは、命の危機から身を守るためというのはよく知られているが、実は研究によれば、カメレオン同士でコミュニケーションを取るためでもあるという。人間社会でも同様に、自分のスタンスや伝え方を状況に応じて変化・適応させることが、分断や摩擦を乗り越えるために必要だというヒントが隠れている気がしてならない。
海外経験の有無や語学力の高さにかかわらず、本質的な異文化理解力=「相手への敬意を持ち、誠実に歩み寄る柔軟性・適応力」が、あらゆる社会や職場で求められている。激動する世の中で、私たちもまた自分自身の“色”を柔軟に変え、相手の違いを受け止めて共存する力を養うことが、個人・組織の生存戦略としてますます重要になるだろう。