
江戸川病院副院長の明星智洋医師
がんの原因となる遺伝子を調べ、ピンポイントで狙い撃つ「プレシジョンメディシン」。米国では広まりつつありますが、日本ではまだ限られた医師だけが取り組んでいます。
その最前線に立つのが、江戸川病院副院長の明星智洋(みょうじょう・ともひろ)医師。「日本一病院にいない副院長」と呼ばれるほど病院の外でも奔走し、テレビ出演や映画『はたらく細胞』の監修など多方面で活躍しています。
なぜ日本では治療法が広まらないのか。長年交流のある筆者が明星さんに現場の実情を聞きました。
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「プレシジョンメディシン」というがん治療の最前線
――プレシジョンメディシンとは、どういった治療法なんですか?明星智洋さん(以下、明星さん):「プレシジョンメディシン」は、がんの原因となる遺伝子変異を特定し、その原因をピンポイントで狙い撃つ「分子標的薬」を用いる治療法です。
従来の標準治療の一つである抗がん剤治療は効き目が読みにくいものでしたが、この方法ではステージ4で「標準治療が終了」と宣告された患者さんに対して、受けた方の半数以上に効果がありました。
――とても画期的な治療法のように思えますが、日本ではあまり聞きなれないですよね。
明星さん:そうなんです。日本ではまだあまり普及していないのが現状です。その理由の1つが費用の問題です。原因となる遺伝子変異を調べる検査に40万~50万円、その後の治療薬も1カ月60万~100万円かかるため、高額な自費診療になってしまいます。
もう1つは日本の医療制度の問題です。例えば、胃がんの遺伝子変異を調べたら、その原因を抑える薬が肺がんの治療薬だったとします。すると、通常は胃がんを診ている消化器内科医は肺がんの治療薬を使い慣れておらず、逆に肺がんの治療薬に詳しい呼吸器内科医は胃がんの患者を診たことがありません。
本来であれば、がん薬物療法専門医が治療にあたるべきなのですが、彼らの多くが所属する大学病院などでは、ガイドラインに縛られて自由な治療ができないんです。
「二度と帰ってくるな」周囲の大反対を押し切った理由
――プレシジョンメディシンに挑む背景には、先生ご自身の歩んできた道も関係しているのではないでしょうか。医師として、これまでどのような経緯をたどられてきたのか教えてください。明星さん:私は岡山で生まれ、熊本大学医学部を卒業しました。高校生の時に祖母を膵臓がんで亡くしたことをきっかけに医師を志し、卒業後は地元の岡山で腎臓内科の医局に入りました。
しかし、研修医時代に出会った恩師の影響で血液内科に転向し、医師4年目には東京の虎の門病院へ、また次の年にはがん研有明病院へ移り、がん薬物療法専門医の資格を取得しました。
その後、当時、腫瘍内科や血液内科がなかった江戸川病院に赴任し、2009年にゼロから腫瘍血液内科を立ち上げました。
――腎臓内科から血液内科へと転科したきっかけは何だったのでしょうか。
明星さん:正直に言うと、最初は「がんの勉強は難しい」と感じ、腎臓内科を選びました。ところが研修医時代に広島の病院で、血液内科医である日野理彦先生という恩師に出会ったのです。彼は一人で50人もの入院患者を診る猛烈な先生で、私はその先生に認められようと必死に学びました。
その過程で気付いたのは、血液内科の魅力でした。診断から抗がん剤治療、骨髄移植までを一貫して担当し、患者さんの命を最後まで責任を持って診ることができるという、他の診療科にはない面白さに惹かれ、転科を決意しました。
――転科されるに当たって、周りから反対の声もあったのでは。
明星さん:かなりの大問題になりましたね。医局から腎臓内科医として送り出されたのに、勝手に転科して、しかも関連病院でもない虎の門病院に行くというのは前例がなかったからです。周囲からは「恩をあだで返すのか」「二度と岡山に帰ってこられると思うな」とまで言われました。
ただ、当時の腎臓内科の教授であった槇野博史先生が、正月に自宅に招いてくださり、酒を酌み交わしながら私の決断を後押ししてくれました。その時間は、人生を大きく変える時間で、本当に大事な時間だったと今でも鮮明に覚えています。
スカウトされたのにまさかの給料ゼロ!そこで得た思わぬ収穫とは
――転科されてから、苦労されたことはありましたか?明星さん:医師4年目に虎の門病院へ赴任しましたが、実は最初の1年間は給料がゼロでした。当時、血液内科の部長に「君は面白いからうちに来ないか」と誘っていただいたので、まさか給料がないとは思っていませんでした。ところが入局すると、「ごめん、給料を払える仕組みがないんだ」と言われまして……。
給料はゼロでしたが、その1年間で何百例もの臍帯血移植を経験できました。その貴重な経験のおかげで、まだ医師4年目にもかかわらず全国から講演会に呼ばれるなど、多くの機会に恵まれました。
――その後は、がん研有明病院を経て江戸川病院へ転職されたとのことですが、この決断にはどのような思いがあったのですか。
明星さん:虎の門病院の後、医師5年目からの4年間はがん研有明病院で働きました。ここでは血液内科医としてだけでなく、胃がんや大腸がんなどの固形がんに対する抗がん剤治療も幅広く学びました。そして医師8年目には、当時史上最年少で「がん薬物療法専門医」という、抗がん剤治療の専門医資格を取得しました。
専門医取得後も、がん研有明病院に残るという選択肢もありました。しかし、当時すでに病院には同じ資格を持つ医師が他にもいたため、このままでは、せっかく取った資格が組織の中で埋もれてしまうのではないかという危機感がありました。
そこで、この専門医資格を最大限に生かせる場所を求めて、当時、腫瘍内科も血液内科もなかった江戸川病院への赴任を決めました。
「日本一病院にいない副院長」は何をしているの?

江戸川病院でがん治療に取り組む明星医師(中央)のチーム
明星さん:病院の外では、プレシジョンメディシンを専門に行う全国7つのクリニックをマネジメントしたり、診療を行ったりしています。
――プレシジョンメディシンの治療は、今後保険適用になる可能性はあるのでしょうか。
明星さん:私は7年前からこの治療に取り組んでいますが、現在も日本で実践しているのは私一人です。ただ、一人で広めるには限界があると考え、一般社団法人「日本臨床プレシジョンメディシン研究会」を立ち上げました。正しい情報を広めるための活動を進めています。
この団体には、恩師である岡山大学の元学長や、他の大学教授、上場企業の社長も理事として参加してくださっています。産学連携でこの治療法を確立し、いずれは保険診療につなげたいと考えています。
――プレシジョンメディシンを巡る、他国の状況はどうなっているのでしょうか。
明星さん:アメリカでは、このプレシジョンメディシンはもう当たり前のように行われています。一方、日本や中国、韓国といったアジアの国々は似たような状況で、日本が最も進んでいると言えますが、それでも私しかやっていないのが実情です。
アジア諸国からも多くのオファーをいただいており、インドネシア政府からは医療特区でのがん治療の協力を依頼されたり、台湾の厚生労働大臣からもお声掛けをいただいたりと、アジア諸国でも関心が強まっていると感じます。
――プレシジョンメディシンは、今後日本の医療にどのような影響を与えると思いますか。
明星さん:プレシジョンメディシンは、がん治療の常識を根本から変え、日本の医療に大きな影響を与えると考えています。
従来のがん治療は、臓器の種類(胃がん、肺がんなど)や進行度によって治療法が決められるのが一般的です。しかし、プレシジョンメディシンは、個々のがん患者さんが持つ遺伝子の特徴を詳細に分析し、その情報に基づいて最も効果的な薬を選ぶことができます。
これにより、「効くか効かないか分からない」という不確実性が高い抗がん剤治療から、「この患者さんにはこの薬が効く」と根拠を持って治療を進められるようになるのです。ステージ4のような末期がんの患者さんにとっても希望につながりますし、「もう打つ手がない」と言われた状況でも遺伝子レベルで原因を特定することで、新たな治療法が見つかる可能性があります。
もちろん、この治療法が日本の医療に定着するには、いくつかの課題をクリアする必要があります。治療にかかる費用や、ガイドラインに縛られた医療制度など、解決すべき点はまだ多くあります。しかし、プレシジョンメディシンが普及すれば、多くの患者さんがよりよい治療を受けられるだけでなく、医療従事者もより効果的な医療を提供できるようになります。
日本の医療は日々進歩しています。もし自分や周りの近しい人ががんになったときには、決して諦めないでほしいです。そして、ぜひ「プレシジョンメディシン」という言葉を検索してみてください。新しい選択肢が見つかるかもしれません。
インタビュー:松本健太、早崎友人(EMPRO Risk Management)
構成:井澤梓、横川あきな
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