心配ばかりかけたから
「私は本当に親に心配をかけてきたんですよ。だから今になって、やっと親孝行ができてうれしいんです」ミホさん(43歳)はそう言う。3歳年上の夫との間に13歳と10歳の子どもたちがいる。近くに住む両親には、ミホさんが結婚してから多大な協力をしてもらってきた。
「私、中学のときいじめにあって不登校になったんです。それまでは勉強もスポーツも大好きで、自分で言うのも変だけどクラスの人気者だった。それがあるときちょっとした誤解からいじめられるようになって……。でもそのとき両親はじっと私を見守ってくれた。だから自主的に勉強して高校に入学したときは本当に喜んでくれて。私もそれ以来、心配させないように自分の足でしっかり立って頑張ってきました」
大学を出て希望の仕事に就き、3年の恋愛を経て結婚したのは29歳のときだった。相手は地方の出身ですでに両親を亡くしていたので、ミホさんの両親を自分の両親のように大事に思うと言ってくれた。
快適だった距離感
「私は一人っ子なので、父がものすごく夫をかわいがって。二人でよく居酒屋に飲みに行ったりしていました。夫は父を慕っていたし、父は夫を信頼していた。本当の親子みたいだとよく言われていました。そんな父が4年前に亡くなったとき、夫は身をよじって泣いていた。そして「これからはもっとお義母さんを大切にしよう」と言った。
「ただ、私たち4人家族の生活もあるし、母は定年まで仕事を続け、自立した人だから私にはそこまで甘えてこないんです、もともと。親孝行はしたいけど、べったりした関係には今さらなれない。だからといって親孝行をしたくないわけではない。夫にそれを分かってもらうのにけっこう時間がかかりました」
もちろん、母のことは気にかけていたが、母は案外、一人暮らしを楽しんでいるようだった。月に2回は母を誘って外食したり、たまに家に来てもらうこともあった。時間があればミホさんが実家に様子を見に行くこともある。そんな距離が快適だった。
急に弱ってきた母
ところがこの1年ほど、母は気弱になってきた。まだ70代前半だが、「もうじき後期高齢者になるのよね」と言い出したのだ。「どうやら母が勤めていたとき一番仲よくしていた同期の女性が急死したらしいんです。彼女とはよく会っていたし、旅行もしていたみたい。それから一気に気弱になって。もうじきお父さんにも会えるのかもしれないわねなんて急に言うから、縁起でもないこと言わないでよと強く言ったら涙ぐんでいました」
一人暮らしを楽しんでいるように見えたのは、母がそうふるまっていただけなのかもしれない。近いとはいえ、実家と自宅は電車で30分ほどかかる。子どもを転校させたくはないし、実家も自宅も5人で住むには狭すぎる。それに独立した自分が、今さら親と住むことに抵抗があった。母のことは好きだし、最後は面倒を見るつもりでいたが、同居は想定していなかったのだ。夫に迷惑もかけたくなかった。
「母だって、同居となれば気を遣うはず。それとなく打診したら、『あなたたちと同居するつもりはない』と言っていました。本音かどうかは分からないけど、私はそれを聞いてホッとした。ひどい娘かもしれないですが」
子どもたちも大きくなり、難しい時期にもさしかかっている。祖母のところに逃げ込みたいときもあるかもしれないが、家族4人の関係を優先させたかった。
旅行先でも……
だからというわけではないが、母と楽しむ時間を増やそうと思い、去年は母が行きたがっていた沖縄旅行もした。夫も子どもたちも賛成してくれた。「母は喜んではくれましたが、実際に行くと、『私が沖縄に来るのは、きっとこれが最後ね』とか『あなたたちと旅行するのもこれが最後だから』とか、ネガティブなことばかり言うんですよ。そのたびに子どもたちが不安そうな顔をする。だから少なくとも子どもたちの前では言わないでほしいと頼んだんですが、『え、そんなこと言った?』って。無意識に口にしているだけかもしれないけど、せっかくの楽しい旅が台無しになるのがいやでした」
夫が気をきかせて母に話しかけたり、海に連れ出したりしているのが申し訳なくてたまらなかったとミホさんは言う。
母のネガティブ発言に子どもが泣き出して
「それでも家族でドライブに行くときなど、夫は母を誘ってくれるんです。すると母は車に乗りながら『いい景色ね。これが最後だから目に焼き付けておかなくちゃ』と言ったりする。こんな楽しい思いができるなんて、いい死に土産だなんてことまで言って、とうとう娘が泣き出したこともありました。『楽しかったなら、またドライブに誘ってねと言えばいいじゃない。素直になりなさいよ』と私が怒って、さんざんな休日になってしまった」さすがに母も反省したらしく、翌日、久しぶりに作ってみたとクッキーを持って訪ねてきた。そんなことをしてほしいわけじゃない、お母さんの人生はまだ続くのだから目標をもって生きてほしいとミホさんは頼んだ。
年をとって気弱になるのは理解できる。頼れるのは子どもだけだと思っているのも分かる。だが、会うたび弱音を吐かれたりネガティブな言葉ばかり言われたら、誰だって一緒にいたくなくなる。そうはっきり言っていいものかどうか、ミホさんは頭を悩ませている。