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学校のバレンタインチョコ禁止令は「ゼロリスク信仰」では?“ダメな理由”に乙武洋匡は絶句した

遊具撤去、バレンタインチョコ禁止……学校の「やりすぎ配慮」が、実は子どもの大切な気づきの機会を奪っている? 小学校教師経験を持つ乙武洋匡さんと渡辺道治さんが語る、現代教育の「足りなさ」とは。※サムネイル画像:PIXTA

執筆者:All About 編集部

職員室で「チョコレートは絶対に持ってこさせないようにしてください」と言われた乙武さん。その驚きの理由とは…?

教師時代、職員室で「チョコレートは絶対に持ってこさせないようにしてください」と言われた乙武さん。その驚きの理由とは……?※画像出典:PIXTA

「あの子がもらえないとかわいそうだから、バレンタインは禁止」。そんな学校の「配慮」、本当に子どものためになっているのでしょうか? もしかしたら、それは子どもたちの気づきと成長するチャンスを奪っているだけかもしれません。

今回は、『教育における「足りなさ」の重要性』(乙武 洋匡・渡辺 道治著)から一部抜粋し、小学校教師経験を持つ渡辺さんと乙武さんの対話パートから、学校現場にはびこる「ゼロリスク信仰」の問題点や、バレンタインのチョコレート禁止といった一見配慮に満ちたルールが、実は子どもの成長機会を奪っている可能性について鋭く切り込みます。
<目次>

リスクを徹底的に減らす「ゼロリスク信仰」

渡辺道治:学校と保護者の関係が敵対していくと、求められることも多くなり、保護者の不安をできるだけ解消しようと、学校としてはリスクを外していこうとします。

まるでファブリーズでもかけるかのように、あの遊具で怪我が出たから、遊具はすべて撤去とか、お祭り行事で今まで食べ物を出していたけれども、食中毒が起きたらダメだから食べ物はなしとしてしまったり。

リスクというリスクを減らしていこう、こういう考え方を「ゼロリスク信仰」と言ったりします。

やはり、保護者とのつながりが薄かったり、重なる部分もなく、距離が遠いとうまくいきません。だから、つながりや重なりを意図的に生んでいくことが重要です。現代はつながりを生み出すための足りなさが足りていないからです。

これは、キングコングの西野亮廣さんが言っていたことですが、エンタメもレストラン型からバーベキュー型に変わってきています。

レストランでは、シェフが作った料理を食べますが、バーベキューでは参加の余白をつくって、みんなでワイワイやるのが楽しいものです。

助けてもらったりすると、そこに喜びやつながりや重なりが生まれていきます。

私は、そうした重なりを生み出す参加型の「BBQ型学級経営」を行ううちに、保護者の方からお手紙をもらうことが増えてきて、年間で100枚から、多い年には200枚ほどいただくようになりました。

豊かな重なりから生まれた感謝の手紙がまるで、「力水」のような役割を果たしてくれて、元気に1年間走り切ることができるようになったのです。

「先生ありがとう」とか「先生のおかげで学校が好きになった」といった保護者の言葉だけで、先生というのは息を吹き返したりします。

めちゃくちゃ疲れていたとしても、「明日もまたがんばろう」と思えるわけです。この多くの手紙を私はずっと大切にもっています。これは、足りなさが生み出してくれた私にとっての「宝物」でもあるということです。

バレンタインにチョコを持ってきてはいけない理由

乙武洋匡:渡辺さんが言う「ゼロリスク信仰」、すごく共感します。

教員2年目のときに、バレンタインの日が近づいてきました。すると職員室で、「チョコレートは絶対に持ってこさせないようにしてください」とかなりきつめに言われたのです。

まあ、お菓子なのでダメではあるのですが、それでも昔は「バレンタインの日くらい……」という空気があったじゃないですか。

そこで、「わかりました。でも、なぜですか?」と質問したら、「もらえない子が傷つくから」と。先輩の先生からそのように言われて、絶句してしまいました。

それは、運動会の「おててつないでゴールイン」の世界です。ちょっと、それは私の教育理念に反するな、と感じました。

そこで、私は2月13日の帰りの会でこう言いました。

「みんな、明日はバレンタインだね。当然わかっていると思うけど、学校は勉強する場なので、お菓子を持ってきてはいけません。

なので、明日、チョコレートを持ってきた子がいて、先生がそれを見つけたら怒ります。ただし、明日だけはちょっといつもと怒り方がちがうかもしれません。

普段だったら『コラッ、なんでお菓子なんか持ってきてんだ! ダメだろ!』と怒るけど、明日だけは、(猫なで声で)『こら~、先生は昨日ダメだって言ったよね~。怒るよぉ~』という感じで怒る気がするな。

はい、以上。解散!!」

「モテないこと」に気づく機会を奪う?

乙武洋匡:私自身、小学校高学年あたりから、「モテ」というものを意識し始めました。その頃であれば、やっぱり男の子は顔がかっこいいやつとかサッカーがうまいやつがモテるんですよね。

じゃあ、この体で生まれてきた私はどうしたらいいんだと考えたときに、「勉強をがんばって『算数を教えてあげようか』と声をかける」とか、「トークを磨いて乙武くんとしゃべるのって楽しいと思われる」とか、人とはちがう武器をつくろうと考えたわけです。

何が言いたいかというと、ちょっと乱暴な意見に聞こえるかもしれませんが、バレンタインでもらえない子が傷つくことを防ぐことで、その子は自分がモテないことに気づく機会すら奪ってしまうことになるのではないか、ということです。

たとえば20歳ぐらいになって、「俺、モテないんだ」と気づいても、正直、ちょっと厳しいものがありますよね。

むしろ、小学校高学年ぐらいで、「あいつはチョコいっぱいもらってる。俺はもらってない。どうしよう……」と気づくことで、その子はモテている子たちとはちがう部分でウリをつくらなければと気づく機会になります。

そうした機会を奪うことは、教育としてどうなんだろうと疑問に思ってしまうのですよね。

大人が子どもを意図的に傷つけることは、絶対にやってはいけないこと。ですが、学校生活の中で、自然と子どもたちが傷つく機会まで奪うような過度な除菌教育についてはどうなのかなと思います。

ビニールハウスで温室栽培するような教育は、はたして本当に子どもたちのためになるのでしょうか。

学校現場における順位づけはもっと増やすといい

乙武洋匡:バレンタインデーの話や運動会の徒競走など、学校現場において順位づけをすることについても議論があります。

私は順位がつくこと自体は是としています。

私は日頃から多様性と言ってきている人間なので、そうした順位づけに反対だと言っているように誤解をされがちです。

ですが、多様性という観点からは、むしろ順位づけをする項目を増やせばいいのではないかと思っています。

たとえば、水泳の上位はこの子たち、勉強の上位はこの子たちといったように、さまざまな尺度をたくさん用意することが、本当の意味での多様性ではないかと思っています。

下位5人まで発表するかどうかとなると、また議論は分かれてくると思いますが、上位の順位づけをすることはあってもいいし、適度な競争というものを経験することは、教育としても決しておかしなことではないのかなと思います。 乙武洋匡(おとたけ ひろただ)プロフィール
1976年生まれ、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。大学在学中に出版された『五体不満足』が 600 万部を超すベストセラーに。 卒業後はスポーツライターとして活動。その後、小学校教諭、東京都教育委員などを歴任。地域に根差した子育てを目指す「まちの保育園」の経営に参画。2018年からは義足プロジェクトに取り組み、国立競技場で117mの歩行を達成。ニュース番組でMCを務めるなど、日本のダイバーシティ分野におけるオピニオンリーダーとして活動している。

渡辺道治(わたなべ みちはる)プロフィール
2006年北海道教育大学卒。元小学校教員。2013年JICA教師海外研修にてカンボジアを訪問。2016年グローバル教育コンクール特別賞受賞。2017年北海道札幌市公立小学校にて勤務。国際理解教育論文にて東京海上日動より表彰。2019年ユネスコ中国政府招へいプログラムにて訪中。JICAの要請・支援を受けSDGs教材開発事業としてラオス・ベトナムを訪問。初等教育算数能力向上プロジェクト(PAAME)にてセネガルの教育支援に携わる。2022年から愛知県における新設私立小学校にて勤務。2023年からはアメリカ・ダラスにある学校「Japanese School of Dallas」の学習指導アドバイザーに就任。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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