「国民の忘れっぽさ」が政治家に悪用される
発言をなかったことにできる最大の理由は、私たち国民が忘れっぽいからです。ジャーナリストなど、政治家の発言を追いかける人や一部の政治ウォッチャーを除き、一般の国民は政治家の発言をいちいち覚えていません。騒動の最中は、話題性もあって知っているものの、沈静化すればすぐ忘れます。
国民の忘れっぽさとは一体どれほどなのか、1つの事例を見てみます。それは公益通報者保護法違反に問われ、結果的に2人の死者まで出した斎藤元彦兵庫県知事に対するものです。
この問題は一時は全国的に報道され、ネットもこの話題であふれていましたが、今ではすっかり注目度が下がり、新しい動きがスポット的に報じられた際、一瞬増える程度です。
もちろんマスコミにも責任はありますが、国民のそうした性質が政治家に悪用されるのです。
これに加え、最近はさらに深刻な批判のスタイルが生まれてきています。
「キャンセルカルチャー」という深刻な批判スタイル
それは、社会の規範上好ましくない言動をした個人や組織をSNSなどで糾弾し、社会から排除しようとする「キャンセルカルチャー」という批判スタイル。標的とした相手を地に落とし、全てを失わせた後は、何もなかったように批判がやむというのが最近の日本における批判の特徴です。それは芸能人に対して度々行われています。最近も某女優に不倫が発覚すると厳しい批判が向けられ、ドラマ降板のほか、担当する番組が打ち切りになりました。
相手が政治家であれば、その行為が国や社会の在り方と直結するため、受益者である国民が批判する権利はあります。
しかし芸能人の場合、その言動から私たち国民が何か実害を受けるわけではありません。仮にあったとしても、好きになれないとか見ると気分が悪いといった程度のものですから、極論すれば、芸能人の立ち居振る舞いとわれわれ国民は無関係です。そんな国民が、無関係な相手に対し、処罰感情をむき出しに、仕事を失うほどにまで批判する権利はあるのでしょうか。
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