なぜ政治家は発言を「撤回」できるのでしょうか? 撤回すれば発言は消えるのでしょうか? 有名人に対する国民の批判の仕方にも触れながら、「撤回」と「修正」の意味の違いを考えていくと、われわれ国民が反省すべき点が浮き彫りになります。
<目次>
たびたび起きる政治家の失言
「神の国」発言をはじめ「女はわきまえるべき」発言など“失言の森”とも言われた森喜朗元首相や「米は買ったことがない」発言の江藤拓前農水大臣など、政治家の舌禍が絶えません。しかし発言を撤回すればマスコミは追及しなくなり、国民もそのことをすぐ忘れてしまいますから、皮肉な言い方をすれば日本の政治家は楽かもしれません。
しかし、なぜ政治家は発言を「撤回」できるのでしょうか?
一般社会で問題発言をすれば、人間関係が崩れ、悪影響がついて回りますが、政治家の場合、発言を撤回すると、あたかもなかったかのようになるのはなぜでしょうか?
撤回しても辞任に追い込まれた江藤拓前農水大臣
まず最近起きた江藤大臣の辞任について簡単におさらいします。現在、日本では米価の高騰が続き、その対応に当たった江藤農水大臣(当時)が講演会で「米は買ったことがない」「(もらった米が)売るほどあります」などと発言したことに国民の批判が殺到。一度「修正」したものの批判はやまず、やむなく「撤回」しても収まらず、結局辞任に追い込まれました。
ところが後任として小泉進次郎議員が農水大臣に就任すると状況は一変。マスコミは江藤前大臣についてほとんど報道しなくなり、国民の間でも話題にさえ上がらなくなりました。
つまり彼の失言は、辞めれば忘れる程度の問題でしかなかったというわけですが、そんな中でも注目するのは、江藤氏が最初に発言を一度「修正」し、その後で「撤回」するという2段階のプロセスを踏んだことです。
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