
しぶしぶ参加した会食……「おいしく食べられない」のは当たり前?(画像出典:Shutterstock)
かつて、職場での会食やいわゆる「飲みニケーション」は、組織の結束を強めると考えられていました。近年は、若者を中心に「飲み会離れ」や「上司との会食を避ける傾向」が顕著になり、しばしば話題を集めています。
プライベートな時間を尊重する空気や、「タイパ」意識の向上なども関連しているようですが、「せっかくおいしいお店に行っても、気を遣いながら食べてもおいしくない」といったホンネも耳にします。
実は「おいしさ」は、単なる「味覚」ではありません。脳のはたらきや社会性などが複雑に絡み合って形成される感覚なのです。なぜ苦手な人との食事や、気を遣う会食ではおいしさを感じにくいのか、その仕組みを分かりやすく解説します。
おいしさはただの「味覚」ではない? 脳内の「ドーパミン」分泌との深い関係も
「おいしさ」を感じるカギを握っているのは、舌で感じる味覚だけではありません。脳内の神経活動を担う神経伝達物質の1つ「ドーパミン」も、重要な役割を持っています。皆さんは、初めてビールを飲んだときにおいしさを感じたでしょうか? おそらくほとんどの人が、「最初は苦いだけで、そこまでおいしいと思えなかった」と答えるはずです。しかし、いつの間にか、多くの人がビールをおいしい飲み物だと感じ始めます。これはビールとセットでさまざまな経験をする中で、ドーパミンが分泌されるようになるためです。
一般に、ドーパミンが脳内で多く分泌されると、「快い」感情が生まれます。「おいしい」という気持ちも快感の一種です。私たちが何かを食べて「おいしい」と感じているとき、脳内では多くのドーパミンが分泌されている状態です。そしてまた、ドーパミンが多く分泌されているときほど、よりおいしさを感じやすくなります。
たとえ高級店でも……苦手な人・気を遣う人との食事が「あまりおいしくない」ワケ
好きな人と一緒に食べると、何でもおいしく感じるものですが、苦手な人と行く食事は逆のことが起こります。少し苦手な上司と一緒の会食は、たとえ普段食べられないような高級料理であっても、手放しでおいしいとは感じにくくなります。舌は、今まで経験したことのないような上質な味を捉えているはずですが、マイナスの気持ちがあると、ドーパミンの分泌が抑えられたり、ドーパミンの作用にブレーキがかかったりするためです。
上司のことが苦手ではなく、尊敬していたとしても、「失礼があってはいけない」と気を遣う気持ちがあると、やはり同じようにドーパミンの分泌は抑えられます。
なぜ? 理性を司る「前頭前野」が「おいしさ」にブレーキをかけるしくみ
私たち人間は、社会性を身につけるために進化した脳領域を持っています。それが、理性を司っている「前頭前野」です。私たちは本来、他の動物と同じように、自分の身を守るための野性的な「本能」も持っています。しかし本能だけに従って、みんなが自分のやりたいように行動すると、それぞれの「自己中心的」な振る舞いばかりが増えるでしょう。結果として、人間としての社会は成り立たなくなってしまいます。
社会を維持するためには、本能的な感情を抑え、相手を不愉快にさせないように配慮する「理性」が必要です。そのため、理性をはたらかせなくてはならないシーンでは、脳の中では「前頭前野」が大脳辺縁系に作用します。そしてドーパミンの分泌を抑えたり、ドーパミンが分泌されてもそれに反応しないようにブレーキがかけたりするのです。
「少し苦手だな」「失礼があってはいけないな」という気持ちでいるときは、帰りたい気持ちや、自分の好きなことをしたい気持ちをぐっと抑える必要があります。前頭前野がはたらき、本能にブレーキがかかる場面です。この状態では、たとえ最高の味を舌が捉えたとしても、脳内のドーパミンははたらきにくく、「おいしさ」も感じにくくなります。
このように、食事の「おいしさ」は、脳のはたらきによって、一緒にいる人との関係や気持ちに大きく左右されるものです。「苦手な人と食べる食事がおいしくない」のは脳のしくみから考えると自然なことで、個々の性格の問題ではありません。考え方を変えれば、「おいしさは、よい人間関係ができた先で感じられるもの」とも言えるでしょう。そのような気持ちで捉えてみると、少し憂うつな会食にも、また新しい価値が見えてくるかもしれませんね。
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