夢を諦めたことがトラウマに
27歳で結婚、現在は大学生の娘と高校生の息子をもつミズエさん(50歳)。つい先日、娘に「お母さんは何になりたいと思ってた?」と聞かれて言葉が出なかったという。「子どものころの夢はピアニストでした。チャレンジしたかったけど、プロのピアニストになろうと思ったら、有名な先生につかないとだめだし、そもそもうちにそんなお金はなかった。ピアノ教室で『あなたが本気ならいい先生を紹介する』と言われたとき、母の顔が曇るのを見てしまって……。私には弟も妹もいたので、ここは私が我慢すべきだと判断しました。母に『プロは目指さない』と言ったら、ホッとしたような顔をしていましたね」
結局、ミズエさんはそのままピアノをやめてしまった。そのことがトラウマになっており、娘がピアノを習いたいと言い出さないようにスイミングや英会話などを習うように仕向けたことも苦い思い出となっている。だから何になりたかったのという質問は心にグサッときた。
「うーん、CAさんかなあと答えておきましたが、ちょっと昔の傷が疼きました。それをきっかけに、なんとなく自分の過去をいろいろ振り返るようになったんですよ」
いつでも人を優先させてきたことに気づいて
四年制の大学に行きたかったが学費を考えて短大へ進んだ。そのまま就職して3年目、父が病に倒れたため彼女は給料をほとんど生活費として家に入れた。弟は専門学校に進み、妹は四年制大学へ。二人とも自らの目標に向かって真っすぐ進んでいた。そしてミズエさんは職場の5歳年上の先輩と結婚、専業主婦を経て今はパートで働いている。
「夫が年上だったこと、すでに家があったことなどから経済的苦労はあまりせずにすみました。子どもが小さいころは夢中で育てましたね。40代では夫の母を介護した時期も数年間、ありました」
そして50歳になってみると……。
「私の人生、常に人を優先させてきたんだなと気づいたんです。親を慮り、きょうだいを心配し、夫や子どもに尽くして……。子どもはいいですよ、自分で望んで得た子たちだから。でもそれ以外は私が我慢しただけ。もしあのとき四年制大学に行っていたらと思うこともあります。ピアニストの夢は断たれたけど、その後は弁護士になりたかった。なれるかどうかわからないけどチャレンジすることもできなかったのが悔しいです」
今さら言っても愚痴だけどとミズエさんは苦笑した。
不幸というわけではないけれど
ミズエさんは決して「今が不幸というわけではない」と言う。ただ、どうにもならない後悔だけが渦巻いている。「じゃあ、今から何ができるのかということですよね。パートの仕事はスキルを磨けばいいという職種ではないし、資格をとっても今さら役には立たない。現実として私にできることもなければ目標もない。それに気づいて愕然としています」
世の中には、昔の夢を思い出して、中年になってから勉強を始めて弁護士になる人もいる。いくつになっても「遅い」ということはない。それはミズエさんも分かっている。
「言い訳がましいけど、更年期まっただ中で体調も悪いし、今から六法全書を勉強するなんてとても無理。それは諦めていますが、仕事にならないとしても何か自分が没頭できるものを探したい。そう思いつつも、私には『自分が』という主体的な考え方がなかなかできなくて」
自分のために思い切ったことをしたい
だから自分より先に、娘の就職や将来が気にかかる。息子は大学受験をするようだが、どこへ行くのだろう。実母の体調や、夫婦仲がうまくいっていないと言っていた弟一家はどうなっただろうと、どうしても自分より身近な他者を心配してはあれこれ世話を焼きがちになる。「でも結局、誰も私に感謝しているわけでもないんですよね。若いころおしゃれもせずに家に給料を入れていたけど、親はそんなことまったく覚えていない。当時は助かるわと言われたけど、もうすっかり忘れている。おしゃれもしたかったし、同僚のように海外旅行もしたかった。そういうことを私は根に持っているんだと思います」
だから今でもすっきり生きることができないのだとミズエさんは言う。一度でいいから、何か思い切ったことを自分のためにしてみたい。それが今後の目標になるのかもしれないと彼女は自分を納得させるようにつぶやいた。