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松坂桃李『御上先生』で話題の「霞が関文学」 官僚の奇妙な言葉遣いは「103万円の壁」との深い関係も…

日曜劇場『御上先生』(TBS系)で御上孝の発する“奇妙な言葉遣い”が話題になっています。「ぼくの記憶が確かなら」「不徳の致すところです」……など、これらの表現は霞ヶ関文学、永田町文学などと呼ばれています。これらは一体何なのか解説します。※サムネイル画像出典:TBSテレビ 日曜劇場『御上先生』 Webサイト

松井 政就

執筆者:松井 政就

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文部省官僚で私立高校に教師として派遣された御上孝(松坂桃李)の“奇妙な言葉遣い”が話題を集めています ※画像出典:TBSテレビ 日曜劇場『御上先生』 Webサイト

文部省官僚で私立高校に教師として派遣された御上孝(松坂桃李)の“奇妙な言葉遣い”が話題を集めています ※画像出典:TBSテレビ 日曜劇場『御上先生』 Webサイト

日曜劇場『御上先生』(TBS系)が注目を集めています。超難関進学校に教師として派遣された文部科学省の現役官僚の周りで起こる出来事を描いたドラマですが、ストーリーの面白さのほかに話題になっている点があります。それは松坂桃李が演じる主人公・御上孝(みかみ・たかし)が発する“奇妙な言葉遣い”です。

作中で自ら「霞ヶ関文学」と語る通り、奇妙な言葉を官僚はしばしば用います。単語は明瞭であるにもかかわらず全体として意味不明で滑稽なことから、かねて「官僚文学」などと揶揄(やゆ)されてきました。これに似たものとして「永田町文学」もあります。

これらは一体何なのでしょうか。
 

霞ヶ関文学とは

『御上先生』で御上孝が口にする言葉にこんなものがあります。

「僕の記憶が確かなら」
「不徳の致すところです」
「これ以上はお答えできません」

※筆者の聞き取りなので一字一句正確ではないかもしれません

これらの言葉遣いに違和感を持つ人は少なくないようです。「血が通っていない」「まるでロボットのようだ」というのもその通りでしょう。こうした言葉遣いを作中で御上孝も「霞ヶ関文学」(「官僚文学」と呼ばれることも多い)と呼んでいます。

霞ヶ関文学といっても、そのような文学ジャンルはありません。官僚が使う言葉が揶揄されてそう呼ばれているだけで、彼らが働く省庁が霞ヶ関にあることからその名が付けられました。
 

霞ヶ関文学の“目的”

霞ヶ関文学の目的は1にも2にも「責任回避」のためです。表向きは物事を円滑に進めるためということになっていますが、何かハッキリしたことを言って責任を追及されないよう、いかに逃げ道を残すかに神経が使われています。

書類などに書かれた文章の場合は、どうとでも解釈できる表現を用いたり、核心を突かれないよう不自然なほどに曖昧な表現を用いたりするのが特徴です。

>次ページ:官僚文学が生まれた理由
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