令和5年のデータでは、相談件数は8万8619件で、男性からの相談はうち27.9%となる2万4684件。女性からの相談の半数以下ではあるが、5年前の約1.5倍となっているという。
それでも男性はまだまだ声を上げられずにいるようだ。
男性はやはりプライドを守りたいのかもしれない。「男が声を上げるのはみっともない」「世間に知られたくない」という思いがあるのではないだろうか。一方で女性側は「我慢しない」ようになり、「負けていない」だけならまだしも、夫に対して一方的にDVをふるうケースもあるようだ。
外ではいい母親、いい妻
「父親って、妻に子どもを人質にとられているようなものだなと思います。うちの場合、妻は僕を『お金を持ってくる人』としか思っていない。反論しようとすると子どもがどうなってもいいのかとさえ言う。もとは優しい女性だったんですよ。ただ子どもが立て続けに生まれたことで疲弊しきってしまったんだと思う。僕はそのころ、仕事が忙しくてろくに手伝うことができなかった。そこで完全に信頼関係が壊れてしまった。それ以来、妻の暴言は続いています」妻からの暴言に苦しんでいるタカトシさん(43歳)。8歳と7歳、2人の女の子がいるが、妻はタカトシさんへの不満から、娘たちに八つ当たりするように罵詈雑言を浴びせた時期がある。彼が気づき、そのときは妻の母親が一時的に同居してくれたのだが、その後、妻の父親が倒れたこともあり、義母は来られなくなった。
「ただ、義母も自分の娘が夫に暴言を吐いているとは思っていない。話しても信じてはくれないんです。妻は外では明るくてさっぱりしている、いい母親、いい妻なんですよね。だから僕が誰かに愚痴を言ったとしても、誰も信じないと思う。まあ、誰かに愚痴るほど近所に親しい人がいるわけでもないし、僕自身、妻のことを愚痴るのは自分の恥みたいな気がするから誰にも言えませんけど」
妻の言いなりになるしかない
家庭内のことを話すのは自分の恥。その裏には「妻ひとり御せないで、男として恥ずかしい」という思いがあるのだろう。そもそも妻は「御する」ものではないのだが、こういうところにも過去の男社会の悪癖が残っているようだ。「妻の暴言は決まって、『うちはあんたが稼げないから、娘たちにろくなものを食べさせてやれない』『娘たちに洋服も買ってやれない』『どこかで稼いでこいよ』というもの。でも僕、持病があって、過労になると発作が起こりやすいんです。もちろん、妻は知ってますよ。でもどうにもならないので、週末は肉体労働をしています。ほぼ休みなしで働けば、もとの給料と合わせて、まあまあになる。そういうときは妻もご機嫌なんですが」
ずっと妻の顔色をうかがう生活だが、娘たちのことを考えると仕方がないとタカトシさんは現状を受け入れている。
耐えきれずに離婚
毎日、妻から暴言を浴びせられ、最終的には包丁を持って追い回されたことまであるというのはシュンさん(45歳)だ。「妻はもともと気が強いタイプでした。僕は離婚経験者で前妻との間に息子がいたため、今後も子どもと会うことはあるというのを了解してもらって再婚に踏み切った。それは、妻がどうしても結婚したいと言ったからです。でもこちらに娘が生まれると、僕が息子と会うのを嫌がるようになった。子どもに罪はないと言っても、『私との子より、前の奥さんとの子のほうがかわいいんでしょ』と妙な嫉妬をするようになって」
そこから妻の暴言が始まった。娘に向かって「パパは、あっちの子のほうがかわいいんだって」と妙な話を吹き込むこともあった。
「養育費を振り込んでいたんですが、それも嫌がっていましたね。ただ、親の責任として僕は振り込むよと伝えたんですが、妻は自分の子より大事にしているといつも言うわけです。ついムッとして『分かっていて結婚したはずだろ』と言ったら、いきなりビンタされたんですよ。あんたを見ているとムカムカするって。離婚を申し出たら包丁を突きつけられ、あわてて外に逃げたこともあります」
明らかに常軌を逸していたので、彼は娘を連れて実家に逃げ帰った。その後は離婚調停が決裂、裁判となった。銀行通帳を隠されたり、生活費がどの程度かかっていたかなども証拠を出してくれなかったりしたが、彼は丹念に調べていった。
「妻は自分の親に相当な額を送金していました。彼女の親を問い詰めていったら通帳を提出してくれた。親も娘の言動を不審に思っていたようです。孫のためになるならと協力してくれたのはありがたかった」
娘が離婚して孫を連れて帰って来られても困ると親は言ったそうだ。すでに老夫婦は、二人きりで穏やかな日々を送ることに慣れていたから。
「2年ほどかかったけど、裁判で親権を勝ち取りました。妻は親権より財産にこだわっていた。そんなに財産があるわけじゃなかったけど、金で片が付くならと妻の言いなりになりました。早く裁判を終わらせて、娘との生活を築きたかった」
取り戻した穏やかな生活
二人きりの生活になったとき、娘はときどき女性の大声に怯えていた。母親の怒声を思い出すようだった。それに気づいたシュンさんは、賑やかに暮らせるよう両親を呼び寄せた。「娘は8歳になりました。ようやく明るさを取り戻した。前の結婚での息子ももうじき15歳。前妻がきちんと育ててくれているのでホッとしています」
彼自身、前妻にも再婚した妻にも暴言や暴力はいっさいふるっていない。だからこそ再婚した妻の荒々しさには驚いたという。
「僕はあらゆる人に相談しましたよ。かっこ悪いとか男として言えないなんてプライドはなかった。だって娘と僕の命に関わる問題ですから。結果的に人を見る目がなかったんでしょうけど、そんなことを恥じてる余裕はなかった」
切羽詰まったときに何を優先するのか。その見極めが重要なのかもしれない。
<参考>
・「令和6年の犯罪情勢」(警察庁)
・「令和5年におけるストーカー事案、配偶者からの暴力事案等、児童虐待事案等への対応状況について」(警察庁)