更年期症状に悩まされて
「5年ほど前から更年期症状がひどくなりました。婦人科に通って、女医さんといろいろ話していたら、なんだか私、我慢し続けてきた人生だったなと思い始めたんです」カヨさん(53歳)はそう言った。28歳で社内結婚し、妊娠して退職。双子の男の子をほぼワンオペで育てた。夫は「ごく普通の昭和男子」で、子ども達とは遊んでくれたが、妻を労ることなどめったになかった。
「私はいて当たり前、おいしいものを作ってくれて家計をしっかりマネジメントしてくれて、日常生活を滞りなく整えてくれて当たり前。そういう存在だったみたいですし、私自身もそこにあまり疑問を抱いていなかった」
そんな「家族の形」が変わったのは6年前。息子は2人とも地元を離れて別々の大学へと進学した。二人とも自分の夢に向かって羽ばたいていく。そんなふうに見えた。子ども達の手が離れ、ホッとしたところへ更年期がやってきた。
私の人生はこれでよかったのだろうか
「夫は子どもが生まれようが、子どもが羽ばたこうが何も変わらず、淡々と人生を送っている。私はそうではないんですよね。結婚、出産、そして子離れ。自分を取り巻く環境が変わるたびにアジャストしていかなければならない。もちろん、それが楽しくもあったけど、いざ夫婦だけになってみると、私の人生、これでよかったんだろうかという思いは否めなかった。夫が一言、労ってくれたら気持ちも変わったかもしれないけど……」夫が憎いわけではない。夫を選んだのは自分。それが分かっていながら、釈然としない日々を送っていた。そんなとき婦人科の医者に言われたのだ。「過去ばかり振り返らず、今日からできることを考えてみたらどうかしら」と。
「私の人生は終わったわけではないと気づきました。だったらこれから何かできるかもしれない。何が好きだったんだろう、何かしたいことはないのかと考え続けました」
1人で生きてみたい
カヨさんはふと気づいた。1人暮らしをしてみたい。1人で行きたいところへ行ってみたい。誰のことも考えずに気ままに生活してみたい。「とはいえ、夫の夕飯はどうするのか、この家の掃除は誰がやるのか。そんなことばかり考えてしまう。でもいったん1人で生活してみたいと思い始めたら、その気持ちがどんどん大きくなって……。夫に話してみたら『何言ってるのかわからない』『離婚はしない』の一点張り。まったく理解しようとさえしてくれない」
そんなとき、実家で1人暮らしを続けていた父が亡くなった。カヨさんは1人っ子なので実家の片付けに奔走する。夫はまったく頼りにならなかった。
「父の遺産はたいしてありませんでした。実家は地元の不動産屋に売却して。結局、私の手元に少し現金が入りました。さらに父の葬儀で久しぶりに会った親戚が、『うちが持っているマンションに空き室がある』と言ってくれた。これはもう、1人で暮らしてみなさいと神様が言ってくれているんだと勝手に解釈して、夫には置き手紙を残して家出しました(笑)」
離婚するつもりはないが、人生の節目に1人で暮らしてみたい、これまでの人生を振り返り、今後のことを考えてみたい。真剣に綴った置き手紙だった。
「引っ越し先はちょっと広めのワンルーム。自宅の一軒家に比べたら、もちろん狭いんですが、ここが私の城なんだと思ったらうれしくて。家具などはほとんど置かず、ベッドと机だけ。音楽が好きなのでミニコンポだけは自宅から運び出しました。コンパクトに暮らすのもいいですね」
専門学校に通い始めて
それが50歳の誕生日直前のこと。コロナ禍ではあったがパートは続けられたし、その後はシフトを増やしてもらった。そしてその半年後から、彼女はとある専門学校に通い始めた。「仕事に結びつくかどうかは未知数ですが、結びつけてみせるという気持ちはあります。自分だけのために食事の用意をするのも新鮮な気分。夫は息子達に私が出て行ったことを知らせたようで、息子達からはどうしたの、何やってるのと連絡がありました。時間をかけて説明したら、長男は『お母さんの人生だから、好きなように生きたほうがいいよ。応援する』と言ってくれたけど、次男は『離婚しないでほしい』って。
彼らに彼らの人生があるように、私にも私の人生がある。子どもはあとは自立していくだけですし、親子の縁が切れるわけでもない。夫からは連絡なしです。あの置き手紙を読んでどう思っているのか聞きたい気持ちもありますが」
今年の正月、息子達が自宅に帰りたいと言ってきた。夫にどうするかと尋ねたら、「たまには家族で集まろう」という返事。
「それで久しぶりに4人が揃って元旦を迎えました。夫がおせち料理を手配してくれていたのには驚きました。4人集まっても深刻な話をするわけでもなく、息子達は友達に会いにいってしまった。そこでまた夫婦2人きりになって。この状態がいつまで続くのかと夫に聞かれ、さあ、私にも分からないと答えました。大晦日に帰ってみたら調味料などほとんど置いてなかったから、夫は料理もしていないんでしょう。2日間だけ、昔のようにちょっと料理をしてみましたが、3日の朝には息子達が戻っていき、私も午後には家を出ました。夫は現実を受け止めるしかないんだなとつぶやいていた」
少し後ろ髪を引かれる思いはあったが、カヨさんはワンルームに戻るとベッドに飛び乗って手足を伸ばした。あと少しで専門学校を卒業する。その後は資格を生かしたパートを始めるつもりだ。
「1人になりたいという気持ちは、1人で生きてみたい、自分の人生を切り開いてみたいという欲求だったんだと今さらながら思います。夫がどうしても離婚したいというなら仕方がないけど、私は今の状況で満足しています。夫婦の気持ちが寄り添うことがあるのかどうかも含めて、ゆっくり歩いていこうと思っています」
50代、まだまだ人生を変革することはできる年代だ。