就職氷河期世代とは
無差別殺人の多くは「社会への恨み」を抱えていることが多い。そして就職氷河期と言われる世代には、そういった理不尽な思いがあるのだ。就職氷河期とは、主に1993年から2005年に高卒もしくは大卒で社会に出た世代。高卒なら1975年から1985年ごろ、大卒なら1970年から1980年に生まれた人たちで、団塊ジュニアとも若干かぶる。
1991年にバブルは崩壊したが、それでも1994年までは就職率は70%を超えていた。それが1995年に60%台に落ち、2003年に55.1%となる。大卒者における超氷河期は2000年であり、同年の有効求人倍率は0.59%だったという。2000年に大学を卒業となると、1978年前後に生まれた人たち。今、まさに40代半ばから後半にさしかかる世代だ。
「本当に泡のように消えた」バブル期の日常
この世代は、バブル崩壊で「親が悲惨な目にあっていた」ことを覚えている。「うちの親は首都圏で不動産業をしていました。祖父の代から地道に地元向けの仕事をしていたのに、オヤジはバブルに踊らされた。一時期は土地の売買でものすごく儲かったんでしょうね。僕が小学生のころは外車を買ったり別荘を買ったりしていました。オヤジは毎晩、飲み歩くような生活をしていた。母親はどこか不安そうだったけど、あるときオヤジに大きなダイヤの指輪をプレゼントされて喜んでいた」
そんな生活はバブル崩壊とともに、本当に泡のように消えたとサトシさん(46歳)は言う。その後は不正があったのか脱税があったのか、子どもにはよく分からなかったが、父が警察に引っ張られていったこともある。それでも夜逃げするほどのことにはならず、父はまた地元向けの不動産業に戻ったが、1度広げた生活は元には戻らず、結局、会社は倒産。両親は離婚して、彼は母とともに母の実家で暮らした。
「2歳下の妹は、子どものいない母の姉の家に引き取られました。行き来はあったけど、兄妹が別々に暮らすようになり、その後は具合が悪くなった祖父母の面倒を見させられ、寂しくてつらい思い出しかありません」
国立大学卒だが「今でも非正規、独身です」
こうなったら勉強で頑張るしかないと一念発起、国立大学に入学したが、彼が卒業したのがちょうど2000年。国立大学卒業でも、就職先は「なかった」という。「友人たちは企業の名前にこだわっていられないと、中堅企業を回っていました。でも僕は、なぜかプライドが邪魔して名前のある大手企業ばかり狙って失敗しましたね。あの時、中堅企業に行った人たちの中には、時代の流れに乗って勤務先に日の目が当たり、いいポジションについたヤツもいる。僕には見る目がなかったんですね」
結局、非正規雇用という形で大手企業の下請け業者で働き始めたが、社内の人間関係が殺伐としていていたたまれず3年足らずで退職。就職率も少しはよくなったので、なんとか正社員になれないかと探したが、新卒の就職率が回復しかけただけで既卒の彼には行き場がなかった。
「就職氷河期世代の憂鬱はよく分かります。僕自身、今でも非正規で独身ですから。しかもこれから母親の介護問題が出てきそうな気配があるので、そうなったらどうやって生きていけばいいのかすら分からない。楽しそうな家族連れを見ると、時々わけもわからず怒りが湧くことはあります」
それでも誰かを傷つけるのは間違っている
それでも……と彼は言う。社会が悪かったのは確かなことだけど、それを恨んで誰かを傷つけるのは間違っている、と。「一時期、ネットで知り合った同世代の人たちとオフ会で盛り上がったりしたんです。だけど何度か会っているうちに、毎回、同じような愚痴を垂れ流していることに気づいて。そうやっていても何も進まないと気づいて、そこは抜けました」
今は非正規の仕事をこなしながら、週末はアルバイトをし、さらにとある国家資格を受けるために勉強を始めたという。
「もしかしたら人生を無駄に過ごしているかもしれないと思ったんです。目覚めるのが遅いけど(笑)。趣味を通じて知り合った50代後半の方から、『あなたはまだ若い。何か始めてみたらどうかな』と言われて。やるだけやったら、何も手にできなくても満足感は残るはずだという言葉に、妙に説得力があったんですよね」
やるだけやった、と言えるものがなかった。だから始めてみたと彼は言う。始めてみることに意義があるのかもしれない。
「家庭を持ちたいとも思ってないし、持てるとも思ってないけど、せめて自分の人生、一度くらいがんばって、『やるだけのことはやった』と言いたい」
何もいいことがなかった氷河期世代。彼らが抱える憂鬱と理不尽なことへの潜在的な怒りは、この時代、誰もが感じている閉塞感につながっているのかもしれない。