人間関係

「足りないものばかり数える母」に育てられ……苦悩した娘が親になって「絶対しなかったこと」

満点でなければ「努力不足」。母に過度な期待をかけられ、子どものころから褒められたことがない。リツコさんはいびつな母娘関係に長年苦しめられてきたが、そんな母について、自身が親になって分かったことがある。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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母の期待が重すぎる……

母の期待が重すぎる……

自分が大人になって初めて分かることというのがある。その1つが「母親」かもしれない。反面教師にするのか見習うのかは、その人次第ではないだろうか。

95点とったら「5点足りない」と言う母

「小学校に入った時、先生に『字がきれい』って褒められたんです。すごくうれしくて母に言ったら『お母さんはそうは思わないけどね。あなたは全然、漢字を覚えないし』と叱られて。せっかく褒められたのに、母にその気持ちをつぶされた。当時はそんなこと分からないから、やっぱり私は字がきれいなわけじゃないんだと落ち込みました」

しっかり残っている40年近く前の記憶を、リツコさんはそう語った。彼女の心の中には、今もその当時の傷あとがあるのだろう。

「思い返せば、母は“足りないもの”にしか目がいかない人でした。テストで95点、しかも満点の子がいなくてクラスで一番だったのに、母は『5点足りない。この不足点があなたの努力不足』と言い切るような人。勉強だけでなく、運動会の徒競走で2番だと『どうしてあと少し速く走れないのかしら』って」

リツコさんには4歳違いの弟がいるのだが、母は無条件に弟を受け入れていた。弟がテストで60点をとれば「合格点ね」と言い、徒競走でビリでも「参加することに意義がある」と励ましていた。

自分は完璧でなければ受け入れられないのにと、いつも恨めしく思っていたが、母の期待が大きい分、それに応えなければとも感じていた。

国立大に届かず私大に入学したら

「とはいえ人には限度がありますよね。大学は母の望む国立大学には届かず、私立大学に入学しました。それでも母は『成績優秀なら特待生になれるでしょ』と言い出した。学生時代は、アパートで1人暮らしする友だちのところを泊まり歩いたりして、あまり帰りませんでした。母に見捨てられたかった」

就職と同時に家を出て、経済的に苦しいながらもなんとか1人で生活して、28歳の時に学生時代に友人だった男性と再会、半年で結婚を決めた。

「結婚するからと彼を連れていったら、父は歓迎してくれましたが母は『どこに勤めてるの』『収入は?』『親御さんは何している人なの』と尋問状態。さすがに父に止められていました。私たちは2人で家庭を作るので干渉しないでと、生まれて初めて母に宣言しました。ものすごくすっきりした瞬間でした」

とはいえ、結婚後もまったく無縁ではいられなかった。

出産後も「2人目は?」と期待をかける母

31歳の時に女の子が生まれた。夫は地方出身なので、実質的に義父母は頼れない。助けが必要なときは実母しかいなかった。

「私は頼りたくなかったんですが、産後、体調を崩してしまって……。夫が私の母に手伝ってもらえないかと頼んでくれたんです。母は飛んできましたが、家の中が汚いだの、これだから共働きはダメだの、あげく娘が小さすぎるだのといろいろ言うので、私はストレスでおかしくなりそうでした」

やっぱり縁を切ればよかったと思いながらも、実際、母に助けてもらうしかない現状がリツコさんにはもどかしかった。

「その後も、2人目は産まないの? 家は建てないの? と、とにかく次から次へと期待というか要求というか、そういうのを繰り出してくる(笑)。その時、初めて思ったんですよ、ああ、この人は足りないものしか数えられない人なんだなって」

そしてさらに分かったのは、母こそが現状に満足していないこと、自分で行動を起こせないからこそ他の人の足りないものを数えて揶揄(やゆ)しているだけなのだということだった。

「ある時、母に『お母さん、自分の人生に満足してる? 毎日を楽しんでる? 充実してる?』と立て続けに聞いてみたんです。母の顔色が変わりました」

母を反面教師に子育てした結果

一人娘を育てながら、リツコさんは夫と「いい関係」を築く努力をした。娘には「好きなように生きること」の大切さを教えたつもりだ。娘に「足りないもの」を意識させなかった。

「うちの娘はあまり運動神経のいいほうではなかったんです。夫も私も運動が得意ではなかったし。でもそんな娘がダンスを習いたいと言ったとき、夫も私も止めませんでした。やりたいならやればいい、自ら限界を知るのか限界を突破できるのかは娘次第だから」

小学生のころから始めたダンスを、娘は今も継続している。今年、高校入学がすでに推薦で決まっているが、高校生になってもダンス三昧になりそうだ。

「好きだから頑張れたんでしょうね。足りないものを数えていたら、やりたいこともできなくなる。そういう意味で母は反面教師でした」

そんな母も76歳。頻繁に行き来はしていないが、今はどうやら弟の妻に目がいっているようだ。母に何か言われたら私に伝えてと、義妹には言ってある。母が一番「不幸でかわいそうとしか思えない」が、そういう人生を選んだのは母自身だと、リツコさんは冷静に話してくれた。
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