今度は母が……!?
自宅近くの施設に預けたので、アスカさんはときどき祖母のところへ行った。祖母は娘のことは忘れても、孫のことは忘れていなかった。「家に帰ろうと泣くんですよ。せつなくて申し訳なくて。でもそれを母に言ったら母が傷つくだろうと思うと言えない。一方で、介護から手が離れてめいっぱい仕事ができるようになったのはうれしかった」
母も何かから解き放たれたように仕事に精を出していた。ところが、それがたたったのか、2年前、今度は母が倒れた。
「母も脳の病気で、倒れて手術をしてから2週間も意識がなくて。やっと目が覚めたと思ったら記憶が曖昧になっていた。そんなときに限って、施設にいる祖母が体調を崩して入院することになり、私はふたつの病院を行ったり来たりする日々が続きました」
母はいくつか病院を転院したが、これ以上のリハビリは望めないということで、半身麻痺が残った状態で退院した。家をバリアフリーに近い状態に改築し、母を迎え入れた。
「母を施設に入れる気にはなれなかった。母も意識はしっかりして、記憶も戻っていましたから。ただ、家に帰ると『あれ、おばあちゃんは?』って。おばあちゃんは施設に入れたでしょと言ったら、そうだったっけって」
母は定年を目前に退職を余儀なくされた。もちろん介護保険をフルに使って、ヘルパーさんを頼んではいるが、母のわがままでヘルパーさんに迷惑をかけていることが発覚、アスカさんは母に諄々(じゅんじゅん)と言い聞かせた。
「頭は比較的はっきりしているのに体が思うように動かないから、イライラするんでしょうね。自分で何でもテキパキやるタイプだから、ついヘルパーさんに偉そうに指図したり文句を言ったりしてしまう。でもヘルパーさんとしては気を悪くするのも当然だから、私は板挟みになりました」
祖母と母の「ダブルケアラー」になった
さらに施設にいる祖母も入退院を繰り返し、そのたびにアスカさんが行く羽目になる。落ち着いている時期でも、1週間に2回は祖母のもとへ行かないと、祖母はとたんに体調を崩す。母もまた、アスカさんに頼りきりだ。「杖や簡易歩行器を使えば、家の中をなんとかひとりで歩けるはずなんですが、私がいるとトイレに行くにもいちいち呼びつける。もちろん助けるのは構わないけど、寝不足が続いて仕事に行くのは、だんだんきつくなってきました」
いっそ仕事を辞めるしかないのかと悩んだが、相談に乗ってくれたケアマネージャーが、「仕事を続けられるようサポートしますから」と言ってくれたので踏みとどまっている。今、仕事を辞めたら、いつかアスカさんがひとりになったとき食べていけなくなるのが目に見えているからだ。
「母も施設に入れるしかないかもしれないと思い始めています。母はごねると思うけど、これで私が倒れたら、私は何のための人生だったのかと悔やむに違いない。母を犠牲にしてでも、私は私の人生を生きていきたいという方向に傾いています」
それによって罪悪感を覚えるかもしれないけど、とアスカさんは苦い顔をした。31歳で介護に明け暮れ、きょうだいも親戚もいないから身内に相談できず、共感も得られない。
ひどく孤独なんですとアスカさんはつぶやいた。