「僕たち、食べたいものがあるんだ」
「自分の時間がなくても、家族が笑顔ならいい。そんなふうに思っていたんですが、子どもたちも大きくなってくると、友だちとファストフードに行ったりするようになりますよね。極力そうさせたくなかったけど、絶対ダメとも言えなかった」この夏、家族で日帰りドライブをした。昼は到着先で名物を食べたが、夕飯は自宅に帰ってからのつもりだったエリさん。
「ところが渋滞にはまって、帰りがすっかり遅くなって。『帰ったらすぐ支度するからね』と言うと、息子が遠慮がちに『僕たち、食べたいものがあるんだ』って。何でも作るよって言うと、『あのね』とファストフードのとあるメニューを挙げたんです。いつもはお小遣いを心配して選べないから、今日はそれが食べたいって。
夫は大笑いしながら、『そうかあ、セットで食べたらけっこうかかるもんな。よし、じゃあ、今日は好きなものをいくら食べてもいいぞ』って。息子たちは大喜び。え、それってどういうこと? と私は呆然としてしまいました」
私の努力は台無し? ため息をつくしかなかった
持ち帰るのではなく店で食べたいという息子たちに、エリさんはため息をつくしかなかった。夫は、「子どもはああいうものが好きなんだよ。たまにはいいじゃないか」と諭すように言った。「それがなんだか腹立たしくて。日頃の私の努力は台無しじゃないですか。受験生の長男と来年中学に入る次男の頭脳と体の栄養を考えている私の立場はどうなるのと、かなり気持ちが沈みました」
子どもたちにとって、今はまだわからないし、食べたいものは母親の料理より出来合いのハンバーガーかもしれない。だが、いつか母の愛情はわかってくれるはず。
「母親として、私がこんなに頑張っているのにと押しつけるわけにもいかない。だから余計に落ち込みます」
夏以来、明らかにエリさんの笑顔は減っているのだが、家族はそれにも気づかないと彼女は嘆く。夫に言ったら、「なに、まだあんなことを気にしてるの?」と驚かれ、それもまたイラッときたと彼女は苦笑する。
「母として、妻としての誇りなんて、勝手に自分で感じていただけなんでしょうね。私がいなくなったとしても、おかずなんてどこでも買えるしだれも日常生活では困らない。そういえばお母さんの料理食べたいねなんて、そのうち一度くらい言ってくれる。そんな程度の存在感なんでしょう。そう考えたら虚しくて」
考えすぎだし、人はいろいろな味を食べたがるものだし、息子たちだって一生、きみの料理を食べ続けるわけにもいかないだろと夫は笑った。息子たちと一緒にいられるのは限られた時間。だからこそ、自分の手料理が一番愛されているとエリさんは思いたいのだ。それはエリさん自身が、母として息子たちに愛されている証でもあるから……。
<参考>
・「労働力調査(基本集計)2023年平均結果」(総務省統計局)