息子と娘に対する思いが違うのは当たり前?
息子と娘、母親はなぜそれぞれへの思いが違うのだろう。男だから、女だからとなぜ差別するのだろう。「差別ではないですよ。息子は仕事をしていて家事をする時間がない。同居しているから、子どものころからの延長線上で世話をしてやるしかないんです。娘はさっさと自分から出て行ったから、私は何もしていないだけ。息子に独立させればよかったのかもしれないけど、彼の勤務先は自宅から30分圏内なんですよ。ひとりで暮らすとなったら、会社から遠くなるだろうし、家事もできないのにかわいそうですから」
その「かわいそう」が、彼の生活上の自立を阻んだ。仕事はできても、生活能力のない男性を作り出してしまったのだ。
おそらく息子自身、結婚する気はないのだろう。だがそれを正直に言えば、母親と衝突する。だから適当にのらりくらりとかわしているのではないだろうか。
そして母親としては、娘には自立して自由に生きてほしいという思いが心のどこかにあり、息子はいつまでも自分の庇護のもとに置いておきたいという欲求があるのかもしれない。サエコさんは、そんなことはない、同じように愛情を注いで同じように自立できるように育てたというが、よく話を聞いてみると、家事を手伝わせたのは娘だけだった。
「子どもたちが小さいうち、私は専業主婦だったから、もちろん夫も家事なんてまったくやらなかった。それを見ていた息子もやらない」
男は家事をしなくていいのか
しばらく押し黙ったサエコさんだが、「確かに、男は家事をしなくてもいいと思っていたのかもしれません」とつぶやいた。その後、サエコさんがパートに出るようになってからも、夫や息子は決して手伝おうとはしなかった。「5年前、私が病気で1カ月近く入院していたとき、夫と息子は大変だったようです。娘に手伝ってやってくれないかと聞いたら、私は仕事が忙しいと逃げられました。日常生活を自分たちで送れない男ふたりっておかしくないかと娘に言われて……。結局、夫と息子は食事は買ってきたみたいですね。お風呂はシャワーだけですませたようです。退院して帰宅したら、風呂もトイレも汚れていました。洗濯機は乾燥機がついていますから、乾燥までして、そのまま着ていたみたい。部屋も汚れていましたね。掃除なんてしなかったんでしょう」
やっぱりおかあさんがいないとダメだねと言われて、うれしいような情けないような、そんな気持ちになったそうだ。家事のために必要とされているのか、それでいいのかと娘に言われた。
「娘はいつも辛辣で……。家族に必要とされる喜びを知らないんでしょうね。だから息子にも結婚して、家族に必要とされる存在になってほしいんです。早く孫が見たい。体力があるうちに孫と遊びたい」
誰のための結婚なのか。息子の本意はどこにあるのか。1度、じっくり話してみたほうがいいのかもしれない。
<参考>
・「人口統計資料集(2024)」(国立社会保障・人口問題研究所)