長年介護してきた父が亡くなったけれど
「長年介護してきた父が亡くなりました。でも涙は出なくて。泣けない私は冷たいんですかね」憂うつな表情で語るのはナオコさん(50代女性)。実家で両親と共に暮らしていましたが、10年前に父親ががんを発症。介護が必要になってからは、母親と2人で支え合ってきました。
しかし3年前、今度は母が認知症に。父だけでも精一杯だったのに、昨日のことすら思い出せない母親の面倒まで見ることになってしまったのです。
ナオコさんには姉が1人いますが、夫や子どもと一緒に実家から離れたところに住んでいて、実際の介護はナオコさんに任せきり。「何かあったら言ってね」と電話してくるだけだといいます。
そんな中、先月、父が他界。最期は母と姉と一緒に看取ることができたものの、大泣きする姉の横で、ナオコさんは悲しみを感じませんでした。どちらかといえば、ホッとした感じだったそう。
その後の葬儀中も泣き続ける姉は、周囲から慰めの声をかけられていましたが、一切涙をこぼさないナオコさんは姉や親族から「冷たすぎる」となじられるばかり。
「私は今、父が死んだことすら認識できない母をどう支えるかで頭がいっぱいです。それでも泣けない私は『冷たい人間』なのでしょうか」
「冷たい人間」であるはずがない
ナオコさんは日常的に愚痴をこぼす相手がいない状態で、10年間も介護を頑張り続けてきました。そんな人が「冷たい人間」であるはずがありません。姉の言う「何かあったら言ってね」は本当に無責任な言葉です。自分のきょうだいに介護をしている人がいる場合、絶対に言わないよう注意してください。
「何もない限り、連絡してくるな」「できるだけ、私に迷惑をかけるな」
これを遠回しに表現すると「何かあったら言ってね」になるだけなのです。もし自分も介護の当事者だと認識していれば、「お父さんの調子はどう?」「診察の結果はどうだった?」「〇〇の手続き、私がやろうか?」など、もっと具体的な発言になるはず。
「すべて指示をよこせ」「でも、可能な範囲しかできないから、難しいことは言うなよ」と伝えてくる姉のほうが冷たいのではないでしょうか。
介護が終わってホッとするのは頑張った証
ちなみに、大きな喪失感から心に穴が空いた感じになり泣けないというのはよくあることです。時が経ち、泣きたくなったら泣けばいいのです。筆者も19年間介護した実母が亡くなったときは、いろいろな思いがありましたが、正直ホッとしたことを覚えています。
今までナオコさんは十分に頑張ってきたのです。介護が終わってホッとするのは頑張った証。どうか自分を褒めてあげてください。
たとえば、ショートステイなどで1週間ほど母親を預かってもらい、ナオコさん自身が休む時間を取ってみてはいかがでしょうか。久しぶりに友人と連絡を取って温泉旅行に行き、ゆっくり羽を伸ばすのもいいかもしれません。
介護が終わったあとは、ホッとするだけにとどまらず、心が燃え尽きてしまう「バーンアウト」のリスクがあります。何もやる気がおきない、気持ちが下がってしまう……などを避けるためにも、まずは「一旦、お疲れさま。今までありがとう」と自分をいたわってあげてほしいのです。
そして今後は、“自分のできる範囲”で母親と関わっていくことが大切です。「母を助けられるのはもう私しかいない」と思い詰めてしまうと、どんどん逃げ場を失ってしまいます。
これまで以上に、ケアマネジャーや医師などに相談しながら、自身の負担を減らしていく必要があると考えます。
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