共同親権が子の利益になるか?「反対派」の意見
幼いときに両親が離婚、親権を持つ母と同居していたが、定期的に父親にも「会わされた」というナオミさん(32歳)。「私が5歳のとき父がいなくなりました。これからはお母さんとふたりで暮らそうねと言われたのを覚えています。母方の祖母が同居するようになり、母は必死に働いていたんだと思う。でも父親にも定期的に会っていました。小さいころは母が付き添って3人で食事をしたり遊園地に行ったり。ただ、あまり楽しかった記憶がないんですよ(笑)」
離婚直前、両親はよく怒鳴り合っていた。それが怖くて、ナオミさんは家からこっそり出ていったこともある。近所の人の通報で交番に保護されたこともあった。
正直、離れて暮らす「父に会う意欲」はない
「だから父がいなくても平穏な空気の中で暮らせることがうれしかった。父に会うと、また両親が怒鳴り合うんじゃないかと怯えていたのかもしれません。小学校に入ってしばらくして、なんとなく親が離婚したこともわかってくると、今度は父に会うのが億劫になった。もともと父を好きだったわけでもないし。だからといって母の味方というわけでもなかったけど。私は冷めた子だったんでしょうね」ピアノやスイミングを習っていたので、習い事にかこつけて「今回は会えない」と母に言ってもらったこともあった。中学生になると、ますます父に会う意欲はなくなった。面会は自然と減っていき、いつしか会わなくなっていた。
「ところが高校2年生のころ、急に父に会いたくなったんです。高卒で苦労しながら自分の会社を興した父に、将来の不安を聞いてもらいたくなった。意見がほしいわけじゃない、ただ話したかった。母は『大学に行きたいなら、父親のところで談判してきて』というくらい、私の勉強には興味がなかったから。そのころは祖母が病気がちで、私は家事も引き受けていましたから、少し疲れていたんでしょうね」
父に連絡をとると、父は満面の笑みで待ち合わせ場所に現れた。ナオミさんの話を聞き、進学を後押ししてくれた。祖母の件についても自治体の福祉とかけあってくれた。一緒に過ごした時間が少ないから娘にはかっこつけたかっただけだよと父は笑ったが、そのとき初めてナオミさんは、父の優しさを実感したという。
「両親が離婚するのはやむを得ないことだと思う。大人同士、愛もないのに一緒にいられても子どもとして困る。だけどその後、親と子がどう関わっていくかはケースバイケースですよね。無理矢理面会させられても私は楽しくなかったけれど、高校生になってから会ったときは父に救われました。
制度云々も大事だと思うけど、子の利益というなら子がはっきりと意思を持てるようになるまで見守ってほしいとも感じています」
今は自立して仕事をしているナオミさん、父とも母ともいい距離を保ちながら付き合っていると言う。