「できそこない」と言われたくなかった母
ナツキさんは、母が40歳近くなってからできたひとりっ子だった。そのためか、子どものころから「お母さんは、あなたができそこないだと言われたくないの」というのが母の口癖だった。「今思えば、妙な言い方ですよね。むしろ、母自身ができそこないだと言われたくないだけの話。そもそも、自分の子だとしても、人に『できそこない』という言葉を使うのはどうなんだろうと思うし」
苦笑するナツキさんだが、母の過干渉は相当なものだったようだ。翌日の持ち物を、前日夜にひとつひとつ声に出しながら確認させられる行為は、社会人になってからも続いていた。
「小学生ならまだしもね。中学に入ったときに、これからはひとりでやるからと言ったら、母が『だめ、あなたにできるはずがない』って。そういう言葉を投げつけられるから、私は自己肯定感が異常に低い。高校生になっても大学生になっても、前日夜、母の目の前で『ハンカチ、ティッシュ、テキストは何冊で、どういう教科なのか、そして体操着。他にはこういうものを持っていく』とひとつひとつ確認するんです。友だちに借りた本を返すとか、貸すCDを持って行くとか、そういうときもいちいちチェック。バカみたいですよね」
大学生の娘に持ち物チェックを続けて
日々のスケジュール確認も、大学生になっても続いた。講義の帰りにばったり友だちに会い、学内のカフェに行くのも母の許可をとってからだった。「面倒になってやめたこともあるんです。友だちとお茶して、その後、黙って映画を観に行ったこともある。帰宅は9時ごろでしたかね。母は駅で待っていました。夕方6時頃からずっと立っていたそうです。近所の人も目撃していたとか」
決して体が丈夫ではなかった母は、その後、数日間、寝込んでしまった。父にすべて話したが、父は「そういう人なんだから、頼むよ」と言っただけだ。そのように夫婦関係が希薄だから、ナツキさんは母の精神安定剤とならざるを得なかったのだろう。
>社会人になっても母は止まらなかった