明治時代の民法においては、「女性は夫の家の籍に入れてもらう」ものだった。だから「嫁」であり「結婚=入籍」であり、「義理とはいえ親子の関係」だったのだ。昭和の戦後民法では、結婚するとそれぞれが親の戸籍から独立、ふたりで新たな戸籍を作る。だが、それを「入籍」と言うメディアや個人は今も多い。
今は、親子のあり方も人それぞれ、ましてやパートナーの親とどういう距離をとるかは個々の家族観や人付き合いの感覚によるところが大きいだろう。
義理とはいえ母親なのに
「結婚するとき、夫の母親は私の母親でもある、だから大事にしようと決めたんです。当時、義両親は義妹と3人で暮らしていました。私は同居でもよかったけど、夫の意向で交通機関を使って30分ほどの距離に新居を構えました。共働きですが、新婚当初、週末は夫の実家によく行っていたんです。私としては義母から料理を習ったりして仲良くしたかったから。でも夫はすぐに『実家にそう頻繁に行かなくていいよ。ふたりで過ごそうよ』と言うし、義母も『私は料理なんてそんなにしないから、教えてと言われても困る』なんて言う。変な家族だなと思っていました」ヒロコさん(40歳)はそう振り返った。ひとつ年上の夫と結婚して9年、8歳になるひとり息子がいる。子育てには義母が協力してくれた。今も困ったときはすぐに助けてくれる。だが、ヒロコさんは義母との関係が円滑だとは感じていない。
義母の態度は冷たい
「なんか冷たいなあと思うんです。息子を預かってはくれるけど、世間でよく聞くように、孫がかわいくてたまらないという感じではなくて……。ときには『私、その日は旅行でいないのよ』なんて言うし。孫がかわいければ旅行くらい取りやめてくれてもいいのにと思うこともあります」夫は「うちはベタベタ甘え合う家族じゃなかった。それぞれが勝手に生きている家。世間でいう家族が集まって仲良くするという感じではない。気楽でいいけど」と言うそうだ。夫は小さいころから勉強しろと言われたこともないし、中学に入ると母は保護者参観日にもほとんど来なくなったという。だからといって夫が母親を嫌っているわけでもなさそうだ。
「自由に放置してくれてうれしかったみたいですよ。干渉されないと案外、自分でしていいことといけないことを考えるようになるから自主性が育つというのが夫の言い分。自分の育てられ方をいいと思っているんでしょうね」
ヒロコさんの実家は、少し横暴なところのある父、我慢する母というステレオタイプの夫婦関係だった。逆にいえば、父は自分が何をしても妻が許してくれると信じ込んでいる「古きよき時代の夫婦」だったのかもしれない。母は子どもに過干渉だった。だがヒロコさんはそれを愛情だと信じていた。
>義母からは期待したやさしい対応が返ってきたことはない