言いたいことが言えないつらさ
「お調子者で愛嬌があり、周囲から愛されているうちの部長が、最近元気がないんですよ。どうやら他部署の女性からモラハラだと会社に訴えがあったようで……。『オレの発言、そんなにダメか』と落ち込んでいました」そう言うのはユミさん(34歳)だ。彼女自身は平成生まれ。典型的な昭和の男である父親からは「今思えばセクハラ発言された」と言うが、発言だけを切り取って責めるつもりにはなれなかった。父はずっと彼女の味方でいてくれたからだ。
「部長もそうなんですよ。部下のためなら会社に盾突く、部下のミスを自分のミスだと取引先に言い張るなど、とにかく部下思い。父や部長を見ていると、人を見るときはトータルで考えたほうがいいんじゃないかと思う。誰だって長所も短所もある。もちろんハラスメントは人権侵害だけど、中には笑えるハラスメントもあるんじゃないかという気がしています。個人の意見ですけどね(笑)」
プライベートに立ち入るのはハラスメントか?
隣の部署の部長は、いっさいハラスメントはない。本人が気をつけているのだろうが、その代わり、部下から部長に言いたいことも言えない雰囲気が漂っているという。「人間関係の距離のとり方が、うちの部長と隣の部長とでは違うんだと思います。うちの部長は、プライベートには口を挟むわけではないけど、誰かが何か言うと『どうしてそう考えるに至ったのか』を聞きたがる。そうやって話す中で、人間性やときにはプライベートな生活のことも漏れていく。それを嫌がる人は、たぶん隣の部長のようにあまり深い対話をせずに淡々と仕事を進めていくほうが合っているんでしょう。人との距離のとり方なんて教えてもらってその通りにできるわけではなく、人と人との相性みたいなものなんだろうなと思います」
ユミさんが笑ってしまう部長の発言も、誰かにとっては許せないものとなる。こればかりはしかたがない。だからこそコンプライアンスが存在するのだろうが、そこからはずれてしまう人が出てくることも想定しておくべきなのかもしれない。
昭和と令和、対比してどちらがいいと言えるものではない。むしろ、野放図だった昭和と、きちんとしすぎている現代の間をうまくとるようなやり方はないものだろうか。ものごとは白黒だけでは決められない。グレーゾーンをうまく取り込むのが日本の「いい加減」の気楽さではなかったのだろうか。