「のびのび自由に」「ほめて育てる」……幼児教育のトレンドに危機感
小田急線栗平駅から徒歩で約15分。多摩丘陵のその名のとおり風が吹き抜ける高台に「風の谷幼稚園」はあります。敷地面積6000坪という大自然に囲まれて、「体ごと遊ぶ」「たくさん歩く」「手を使う」などを大切にするこの幼稚園は、民間企業勤務を経て、保育士、幼稚園教諭としてキャリアを積んだ天野優子園長(77歳)が、長年子どもたちと関わる中で既存の幼児教育に危機感を覚え、自ら1998年に設立しました。
既存の幼児教育のどのような点に疑問を抱いたのでしょうか。
「30年ほど前から、これからの子どもは“自由にのびのび育てる”ことが大切だといわれるようになりました。聞こえがいいのですが、これは自分勝手に、気分で行動することを許容しているのではないかと違和感がありました。私が考える幼児期に大切にすべきことは、食事や衣類の着脱など身辺の自立を確立すること、自分のことは自分でやり通すこと、感覚や感性を育てることです。これらは、子どもに任せるだけ=自由にさせることで身につくものではないだけに、どうしても納得できなかったのです」
天野園長は続けます。
「またもうひとつが“ほめて育てる”というトレンドです。子どもたちはほめられて当然という意識が強くなってしまい、なんでほめてくれないの?と不満を口にするため、この関わり方にはむずかしさを感じます。大人はほめることを目的にせず、子どもの行動に対して素直に共感したり感想を伝えたり工夫点をアドバイスしたりすることで、物事に向き合う楽しさを伝えていくことが大切だと思います」(以下:天野園長)
現代保育の“三種の神器”なし、ブランコなどの遊具もない風の谷幼稚園
どんなところでも、「人間としての誇りをもってしっかり生きていく。そんな子どもを育てたい」を教育理念とする風の谷幼稚園には、スクールバス・給食・延長保育という現代保育の“三種の神器”、ブランコやジャングルジムなどの遊具がありません。「生きていく上での基本はとてもシンプル。食事、衣類の着脱、排泄、片付けなど自分のことは自分でできる生活力、人と関わるためのコミュニケーション能力、そして、課題にぶつかったときどうすればいいのかを自ら考えることができる問題解決能力の3つです。これらを3年間の園生活で会得できるようカリキュラムを作っています」
10月7日より東京・ポレポレ東中野ほか、全国で順次公開が始まったこの幼稚園を舞台にしたドキュメンタリー映画『時代遅れの最先端—風の谷幼稚園の子どもたち』では、子どもたちが真剣な眼差しでクギと金づちを使って木工作をしたり、本物の包丁を使って料理をする姿が印象的です。また、梅もぎやじゃがいも掘りなど豊かな自然の中で本物の体験をする様子が描かれています。
「うちの園では、『失敗』という言葉がありません。木工作では、子どもたちはクギをうまく打ちつけられなかったり、曲がったりすることもありますが、『失敗したらやり直せばいい』と教えられるのでどんどんチャレンジできるし、たくましくなっていくのです」 園の見学におじゃました日は、天野園長自らが受けもつ年中児が、森の中の広場でハードル跳びをおこなっていました。高くなるにつれて、ハードルの前で立ちすくんだり、跳び越えられずにころんだりする子どもたち。でも、だれひとりとして泣きません。
「跳ぶか跳ばないかもその子の判断。チャレンジしたら、『それっ!』と応援するなどその子に合わせて声をかけて励まします」
自由時間になると、文字通り自由に遊びつつも「時間がきたから園に戻って手を洗おうね」という先生の声に即座に反応し、友だち同士で声をかけあって手を洗うために水道に並ぶ子どもたち。その姿からは「自律」を感じとることができます。
この園で育った卒園生に、サッカー日本代表の久保建英選手、女子ラグビージュニアクラブチームメンバーの似内芽衣子(にたないめいこ)選手がいます。 似内選手は、年長時代に園で体験したラグビーが、現在につながっているそうです。
親もいっしょに育つ! 幼稚園教諭になって同園の先生として働く保護者も
風の谷幼稚園で大切にしていることは、子どもだけでなく、“親もいっしょに”育つということ。「早期教育、習い事など情報過多な世の中で、子育てに自信をなくしている保護者の方が多いように感じています。園では、赤ちゃんのおんぶの仕方から3~5歳児の育ちまで、子どもに関するさまざまな情報を提供したり、園長講話としてお話ししたりしています。お弁当づくりに悩む保護者に向け、園の調理室を使って手料理のコツを教える教室も開いています」
PTA、幼稚園を取り巻く自然環境を守る会に加え、園庭整備、園の所有地や周辺の土地の草むしりをするサークル活動なども盛んです。これらは強制ではなく、やりたいと思った保護者が中心になり、主体的に運営されていて、中には3つも4つもかけもちしている方もいるそう。
このような活動を通し、子どもといっしょに親も成長できる風の谷幼稚園。卒園後も、お父さんたちが中心となって建物を修繕する活動を続けたり、園の教育に共感し、幼稚園教諭の資格をとって同園の先生として働くお母さんもいるそうです。
「子どもはどんどん比べていい」――子育ての定説を覆す天野園長
あふれる育児情報、コロナ禍での孤独、進む核家族化に加え、少子化、経済の低迷、不登校、教員不足など、子どもを取り巻く環境は厳しくなるばかりに思えます。「夢のない時代」「生きづらい時代」といわれている今、家庭でどのように「誇りある子ども」を育てていけばよいのでしょうか。
「親は、いつかは死ぬんです。そして、世の中は変わっていきます。親のつとめは、わが子が大きくなったとき、いつ、どこで、どんな事態が起こっても一人で生きていく力を身につけてあげること。そのために大切なのが、先ほど申し上げた生活力、コミュニケーション能力、問題解決能力の3つです。この3つを育むことをいつも心に留めながら、お子さんと関わってほしいですね。早期教育の流行で、小学校受験に挑戦するご家庭も増えています。これは私見ですが、この時期の受験勉強は、その子の尊厳を傷つけてしまう側面があるように感じます。自分の成績を管理する親の顔色を読むことが子どもにとっての生きる術になり、この時期に大切な、人としての土台を築くことができないことが懸念されるからです」
また現代の子育てにおいては、「わが子と他の子を比べない」というのが定説ですが、「いやいや、どんどん比べてください」と、天野先生はいいます。
「他の子と比べてわが子のできないところを見つけて落ち込むのではなく、『うちの子ができなくて、周りの子ができるのはどうしてだろう』『できるようにするためには、どうように関わればよいのだろう』など、子どもの理解を深めるために比べることが大切なのです」
子育てにおいても「時短」や「効率化」が求められる現代、風の谷幼稚園の教育は、一見時代遅れに見えるかもしれません。
しかし、自然の中で過ごす、生活力をつける、人との関わり方を学ぶなどごくシンプルなことこそがむしろ“最先端”であり、これからの時代に必要なことではないでしょうか。
【映画公式サイト】
『時代遅れの最先端—風の谷幼稚園の子どもたち』
東京・ポレポレ東中野ほか、全国で順次公開中