母をひきとったのはいいけれど、わがままが過ぎて……
期せずして実母とふたり暮らしに
田舎にひとり住む母が、4年前に軽い脳梗塞を起こし、それを機に夫が「うちに呼んで一緒に住んでもいいんじゃないか」と言ってくれたというサヤさん(52歳)。コロナ禍直前に母はやってきた。「ちょうどそのころひとり娘が就職して、寮に入ったんです。夫は非常に冷静で客観的な人だし、母は夫を気に入っていましたから、娘がいないのは寂しいけど3人でうまくやっていこうと夫とも話していました」
だが、母が来て1週間もたたずに夫の転勤が決まった。しかも1週間以内に行ってほしいということだった。
「社内事情がいろいろあったようで、夫は助っ人のような形で九州のほうへ転勤することになったんです。本来なら私もついていきたかったけど、母が来てしまったので身動きがとれない。夫は『2年くらいで戻れるはずだから、お義母さんが大丈夫そうなら、きみが遊びに来ればいいよ。僕もときどき帰ってくるから』って。この年で母とふたり暮らしになるのは、ものすごく不安でした」
30年以上も離れて暮らした母との同居
というのも、サヤさんは決して母と折り合いがいいわけではなかったからだ。しかも18歳で親元を出てから30年以上たっての同居である。「たまに実家に戻る分には、私も優しい娘でいられたけど同居となるとそうもいかない。ただ、母も当時すでに80歳。お互い、少しは遠慮しながら暮らしていけるんじゃないかと想像したんです」
ところがそうはうまくいかなかった。ひとり暮らしが長くなっていた母は、昔に輪をかけてわがままになっていた。
「いちいち文句を言うんですよ。洗濯機の使い方がわからない、掃除機の使い方がわからない。文句を言うべきところではない。わからないから教えてと言えばいいだけなのに、『どうしてこういうものを買うんだろう』なんて言い出す。うちのものを使わせてもらうという感覚は皆無なんですよ」
その後、コロナ禍でサヤさんはパートの仕事で自宅待機が続いた。この期間になんとか母との関係をよくしたいと思ったが、その思いと裏腹に、母の「性格の悪さ」がどんどん表に出てきたと彼女は言う。
>文句言い放題、嫌味言い放題の母