子どもが産まれて
リカコさんは30歳のとき、職場の同僚と結婚した。共働きのため、夫の母親がさりげなく応援してくれた。「義母は本当に優しい人です。なにも押しつけてこない。母親なのに上から目線でものを言うこともない。義母に、私の母のことを話したときも黙って聞いてくれて『あなたの心の苦労を思うと言葉がないわ』と泣いたんですよ。数少ない信頼できる人に母のことを話したことはあるんですが、みんな『それでも親子だから、断絶しているのはよくないよ』『わかりあえるよ』と言うばかり。誰も私の心情を理解してくれなかった。夫は理解しようとはしてくれた。でも義母はまず私の心に寄り添ってくれた。それがありがたかった」
義母が説教めいたことを言わなかったからこそ、出産後、ふと母に連絡をしてみようかと思った。義母に言うと「いいと思う。でもあなたが嫌な思いをしないようにね」と言ってくれた。
娘が生後3カ月たったころ、連絡をとると母は飛んできた。リカコさんは、母が一言でも「今までごめんね」と言ったら、すべて水に流すつもりでいたが、母からそういう言葉はなかった。それどころか、娘が自分に心を開いたと思ったのだろう。顔色をうかがいながらも、ときおり訪ねてくるようになった。
「私が職場に復帰してからは、週末ごとに来たがるので、来ないでほしいとピシャリと言いました。そうしないと元の木阿弥だから」
ただ、娘が4歳になったころ、助けてくれていた義母が転倒して足を骨折してしまった。とたんにリカコさんは困り果てた。定年退職したものの仕事を続けている義父が、週に2回くらいならなんとかなると言ってくれたので、リカコさんは他の日は夫と連絡をとりあって娘を迎えに行くことにした。だがその間、夫の出張があったりリカコさんがどうしても定時で帰れなかったりしたことが続いた。
失敗だった……実母が孫に「呪いの言葉」
「どうしようもなくて母に連絡しました。母は飛んできて『だから最初から私を頼ればよかったのに』と勝ち誇ったように言いました。どうにもならないときだけ助けてほしいと言ったら、もっと頼っていいわよって」ところがこれが失敗だったとリカコさんは言う。母はせっせと孫娘に「呪いの言葉」をかけていたのだ。
「以前から娘がピアノを習いたいと言っていたんです。そろそろいいかなと思って5歳の誕生日に『ピアノ習う?』と聞いたら首を横に振る。どうしたの、ピアノ嫌いになったのと聞くと『ピアノなんて習っても何にもならない、お金の無駄だっておばあちゃんが言った』と。じゃあ、バレエは、日本舞踊はと娘が興味をもっていることを並べたのですが、『あたしはお嫁さんになるから、なにもしなくていいんだって』と言い出した。時代錯誤も甚だしい。年端もいかない娘に何を吹き込んでいるんだと私は頭から湯気が出そうになって」
翌日、実家に行って母を責め立てた。すると母は「あんただってピアノやバレエを習ったけど、結局、なにも役に立たなかったじゃない」としれっと言う。
「もう二度と、うちには来ないでと怒鳴って実家を後にしました。義母と相談して、娘がまた何かに興味をもつように少しずつ考えていこうと。ただ、子どもはすぐ忘れてくれて、しばらくしたらやっぱりピアノを習いたいというのでホッとしました。別にプロになるなんて考えていません。趣味でいいから楽しめることを持っていてほしいだけ。好きなことを増やしてあげたい。そのほうが人生楽しいから」
それから8年、中学生になった娘はバレーボールに夢中で、ピアノのレッスンは中断している。だが週末になるとピアノを楽しそうに弾いてる。早く母と引き離してよかったと、リカコさんは心から思っているそうだ。
母とはあれきり、ほとんど会っていない。父とはたまに連絡をとりあっているが、母はたまに自身の妹と出かけたりするくらいで、静かに暮らしているようだ。両親もそろそろ70代。親が困ったときに自分はどういう態度に出るのだろうと考えてみるが、答えはでない。