Q. どんなにぼんやりしていても、無意識のうちに家に帰れるのはなぜ?
ぼんやりと歩いていたら、いつの間にか家の前…何も考えずに帰りつくのはなぜ?
家や会社などの慣れた場所に向かうとき、私たちはほとんど何も考えずにたどり着くことができます。考え事をしていたり、ひどく酔って記憶がなかったりしても、目的地にたどり着けるのはなぜでしょうか?
Q. 「毎日駅から家まで歩いて帰っていますが、ときどき完全な無意識のうちに家に着いていたなんてことがあります。なぜでしょうか?」
A. 毎日同じ道を歩いているうちに、「手続き記憶」ができたからです。
私たちが一度覚えたことを忘れないでずっと保っている記憶の形を「長期記憶」と呼び、その内容によって大きく2種類、言葉で言い表すことのできる「陳述記憶」と言葉で言い表すことのできない「非陳述記憶」に分けることができます。そして、「非陳述記憶」の一つとして「手続き記憶」があります。私たちは生まれたばかりの時は何もできませんが、時間をかけて練習を繰り返すことで、体を適切に動かすいろいろな技術を身につけていきます。箸を使って食事ができる、自転車に乗れるようになる、楽器の演奏が上手にできるようになるなどは、その典型例です。よく「からだで覚える」と言いますが、実際はからだが覚えるのではなく、脳が覚えるのです。練習を繰り返すうちに、手足をどのように動かせばよいのかの情報が脳の中に刻み込まれていくのです。
手続き記憶の一つの特徴は、いったん獲得されたら、無意識のうちに再現できることです。自転車に乗れるようになると、「右足を踏みこんだら、次はバランスを取りながら左足を踏みこんで…」などといちいち考えなくても、どんどん走らせることができますよね。
毎日の通勤や通学で、最寄り駅を降りて同じ道を通って帰宅することを繰り返していると、どこをどう歩いているかということを意識していなくても、ちゃんと家に帰れるのも、「手続き記憶」のなせる業です。
同じようなことは車の運転時にも当てはまります。初心者のうちは集中して意識していないと車を運転できませんが、長年運転を続けて慣れてくると、意識しなくても勝手に体が動いて車を操作できるようになります。もちろんよそ見運転はだめですが、同乗者と軽いおしゃべりを楽しんだり、ドライブをしながら景色を楽しんだりする余裕もできるものです。これも、運転操作が無意識のうちにできる手続き記憶として身についた結果、注意を別のことに向けられるようになったからです。
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