「体育」の授業の目的、運動会の“教育的意義”
学校行事の中心的存在で、「わが子の晴れ姿、頑張る姿をみたい」という保護者の思いも大きい運動会。神奈川県茅ヶ崎市立香川小学校では、コロナ禍の2021年度より従来の運動会を見直し、徒競走や選抜リレーはなし。得点制も廃止し、“競い合わない”運動会を実施しました。「そもそものきっかけは、コロナにより運動会の時間短縮を余儀なくされ、競技数を減らさなければならなくなったことでした」というのは、香川小学校の國分一哉前校長。トップダウンではなく、現場の先生たちが日常的に対話を重ねながら学校改善に向けた取り組みを行う自由闊達な学校風土を作り、「通知表をなくした」ことでも注目を集めた小学校です。 「時間制限があるなかで従来の競技を見直すだけでなく、運動会のあり方そのものについて改めて考え直すきっかけにもなりました」と、國分前校長。
徒競走は、運動会の花形競技のひとつ。しかし、小学校の体育の授業における短距離走の目的は、「自分のタイムを知り、自己の能力に適した課題解決、記録への挑戦の仕方を工夫すること」とされています。
「体育の授業では、50m走、100m走のタイムを測り、自分の目標タイムに近づけるための取り組みを行っています。それをわざわざ運動会という場で子どもたちを競わせて順位をつけることに“教育的な意義”はあるのか、という意見が教員たちから以前より出ていました。
たとえば、跳び箱の授業では『この子は〇段を跳べるか、跳べないか』といった結果だけに注目するのではなく、跳べない子が跳べるようになるためにはどうすればいいのか、その過程に着目して支援をしたり、グループやクラスごとに目標を決めて皆で工夫したり、協力しあいながら競技と向き合うのが本来の教育のあるべき姿ではないでしょうか」と、國分前校長は従来の運動会のあり方に疑問を投げかけます。
運動会の徒競走で足が速い子だけにいい順位や得点がついたりしたら、下位の子は劣等感を突きつけられかねません。結果を相対的に評価するような教育は、考え直す時期にきているのでしょう。
クラスの“自己ベスト更新”を目指す形にした香川小の運動会
コロナ禍の2021年度。競技種目の選択や競技方法は、各学年の先生で決めるようにしたところ、3、4年生の競技に変化が見られました。「徒競走はしない」という選択をし、4~5人一組で1本の長い棒を持って定められたコースを走る「台風の目」を行うことに。さらに、クラス対抗ではなく、練習のときに各クラスで出した自己ベストを本番で超えられるかに挑戦する方式を取り入れたのです。すると子どもたちも「校長先生、今日、僕のクラスは新記録が出たんだよ!」と練習のときから報告しにきてくれたそう。
そして、運動会当日。競技後に担任の先生から「3年〇組、△分×秒! 新記録達成です!」と発表されると、子どもたちは大盛り上がり。生き生きと目標に向かって本気で取り組む姿が見られたそうです。
「この何十年、当たり前のように行ってきた“赤白に分かれて競い合う”運動会について考え直す、よいきっかけとなりました」と國分前校長。
翌年2022年度の運動会では、この3、4年生の取り組みが全校に広がって、徒競走や選抜リレー競技は全校で実施しないことに。「ソーラン節」などの表現活動に加え、「学年玉入れ」や「障害物リレー」など、クラスや学年ごとに目標数や目標タイムを設定し、それをクリアできるかを挑戦する形式で開催されました。そしてなんと運動会当日は、全てのクラスが目標をクリア。大盛況だったといいます。 「毎年、運動会の季節になると憂うつな顔をしていたわが子が、今年は、『お母さん!目標達成できたよ!』と笑顔でガッツポーズ。私も『よくがんばったね!』と心から言ってあげることができて嬉しかったです」と伝えにくる保護者の姿もあったそうです。
「勝ち負けを味わうことも大切」――保護者アンケートからの意外な結果
「勝った負けた」ではなく、チームで協力し合って運動と向き合う、香川小らしい運動会。先生も子どもたちも満足のいく学校行事になりましたが、後日行った保護者アンケートの結果は、意外なものだったといいます。「今までにない運動会でよかった」という賛同の声ももちろん多かったのですが、一方で「従来通りの運動会で、負けてもそこから立ち直る経験をさせてほしい」「子どもは競争社会を生きていくのだから、負ける経験も必要だと思う」などの声も少なくなかったのです。
「運動会に向けて生き生きと練習する子どもたちの様子を間近で見てきただけに、保護者アンケートには少なからずショックを受けました」と國分前校長。
多くの保護者は、輝かしい思い出も苦い思い出も含め、「運動会とはこういうもの」という固定観念が無意識のうちに根づいているだけに、“徒競走がない”“競わない”運動会に違和感を感じるのも無理はないでしょう。
しかし、このような保護者からの反応を受けて、同校で勤務する先生はこう言います。
「コロナ禍が続き、さまざまな制限のなかで学校生活を強いられてきた子どもたちは、大人が思っている以上に精神的負荷がかかり、ささいなことに過剰に反応して自分と友だちを比べて優劣をつけようとしたり、必要以上に落ち込んだりなどの様子が見られます。
その影響からか、学校現場ではテストの点数がいい子や運動が得意な子が傲慢な態度をとってしまうこともある一方で、自分は人と比べて劣っているんだというショックを意外と長く抱えてしまっている子が増えている印象です。
体育が得意な子が活躍できる場は、“学校の運動会以外”にもあるはずです。保護者が勝ち負けにフォーカスして子どもたちと向き合っていると、子どもたちの心がゆがんでしまうのではないでしょうか。
保護者の方の気持ちは理解できますが、運動会は“大人のためのエンターテインメント”ではありません。勝ち負けにこだわるのではなく、学校行事とポジティブに向き合う姿を応援してほしいと思います。今後は保護者の方に学校としてのこのような思いを発信する機会を増やしつつ、理解を促していきたいですね」
今年も春の運動会シーズンが始まりました。本当の意味で子どもの成長につながる運動会はどんな形であるべきか、改めて考えてみたいものです。