部下のフリをしても妻は騙せない?
一家の前に現れたミナさんは、コウタロウさんに向かって「せんぱ~い、こんな場所で会うなんて」と手を振りながら近づいてきた。コウタロウさんの心臓が止まりそうになったのは想像に難くない。「あら、という顔をした妻に『わ、奥様ですか。いつもお世話になっております。ミナです』と自己紹介。そして『先輩、楽しんできてくださいね~』とは言ったものの、彼女の目は笑っていなかった。妻が娘と母親と先に行ってしまうと、ミナはさらに近づいてきて、僕の手をぎゅっと握った。『困るよ』と言うと『今のうちに顔見せしておいたほうがいいかなと思って』とミナが不敵な笑みを浮かべたんです。僕は怖くて何も言い返せなかった。あわてて家族のもとへ足早に向かい、保安検査所のところで振り返ると、ミナはまだこちらを見ていました」
さらに前方を見ると、妻が腕組みをしてコウタロウさんを睨んでいた。どこかに逃げてしまいたいと思ったと彼は言う。
「そのまま振り返らずに妻のほうへ行くと、妻が『あなたの部署にあんな子いた?』と言うので、違うよ、学生時代の後輩だよととっさに嘘をついてしまいました。実はミナは、僕がときどき行くバーで知り合った他社の社員なんです。『学生時代にしては年齢が離れすぎてない?』と言われて、サークルのOBOG会で会ったんだと言うしかなかった。へえ、そんな会、いつあったのとどんどん詳細を掘られてしまって、いつだったかな、去年だったかなと曖昧な答えに終始しました」
心臓が早鐘のように鳴り続け、止まってしまうのではないかと思うほどだった。娘が「早く行こうよー」と言ってくれたのが救いだった。
「さすがに家族旅行中は、妻も何も言わず、義母も含めて仲良く過ごしましたが、帰りの飛行機の中で妻が『これから何か大きなことが発覚しそうね』と一言。グサッと刺されたような気分でした」
そして6日の深夜、「妻に、『浮気しているなら今のうちに言って。あとになればなるほどあなたが苦しくなるんじゃないの?』と言われたところだ」とコウタロウさんから連絡があった。それでどうなったのかと聞くと、「全否定した」とのこと。
「もう限界かもしれない。娘といつでも会える確約があれば離婚を考えるつもり」だという。
そんなに簡単に別れられるのか、別れていいのかとも思うが、結婚生活への思いは他人にはわからない。
「もともと僕ら夫婦はしっくりいっていたわけではないんです。それは妻も自覚していると思う。ただ、離婚の原因を作った有責配偶者としてとんでもなく責められそうな気もしますが、それは甘んじて受けるしかない」
妻を傷つけることになると心配しているのかと思いきや、「妻は傷つかないと思う」と彼は言った。
「彼女は鋼のメンタルだから、どうやって仕返ししようかと考えることはあっても傷つくというのとは違うと思う。そうでなければ、あれだけの仕事はできないと思います。そのメンタルが長所でもあり短所でもあるんですけどね」
開き直ったような淡々とした物言いが、どこか寂しげにも聞こえた。