まだ続く退屈な時間
パート仕事を変えたり、スポーツジムに行ったり、習ってみたかったピアノ教室に行ったりもした。だが何をやっても、たいして楽しくはなかった。「自分が何を求めているのかわからないまま、時間だけが流れてしまった。ある時期から、もう自分自身に退屈してしまって……」
周りから見れば、それなりに人生を楽しんでいるように見えるかもしれないと彼女は言う。心の中の孤独感や退屈な気持ちは人に見せるものではないから、気取られないよう楽しそうに生活しているフリをしている。
最近は、結婚した息子が孫を連れて近所に引っ越してきた。だが、子育てをもう一度したいという気にはならないと彼女は言う。
「どうしようもないときは手伝いますが、基本的に子どもは夫婦で育てなさいと言っています。孫がかわいくて毎日でも会いたいと言っている友人もいますが、私はそうも思えなくて。生まれたばかりの孫を見ていると、逆に自分の老いやエネルギーのなさを自覚させられるから」
なんともネガティブな発言を繰り返すサエコさんだが、もしかしたら楽しそうに生きていながらも、実際には「老いへの恐怖」を抱えている人は少なくないだろう。
「死ぬのは怖くないんですが、老いて寝たきりになったりしたらどうしようと思うと不安でたまらない。3歳年上の夫は、今も仕事が多忙で、週末はゴルフをしたりと生活が変わってないんですよ。65歳の定年以降も仕事を続けると張り切っています。私はそんな夫のエネルギッシュな生き方についていけないなあと思っていて……」
今からだって何かはできる。やろうと思いさえすれば。友人からはそんな言葉ももらったが、彼女は淡々と「今までできなかったのだから、今から何かできるとは思えない」とつぶやいた。
「平凡な人生だったけど、それをよしとするしかない。自分を納得させるために老後を生きていくんだろうなと思っています」
いくつからでも何かを始めることはできる。だが、もしかしたら、過去を納得させるための「今後の人生」があってもいいのかもしれない。どんなに淡々とした平凡な人生であったとしても、その人だけの人生であることは確かなのだから。