ライフキャリア

小学生3人連れ、埼玉→沖縄・石垣島へ「教育移住」して2年。コロナ禍の決断で子に与えた苦労と収穫

コロナ禍でリモートワーク化が進んだ中、「地方移住」という選択肢をとる人も増えた。ライフキャリアの変化に影響する大きな決断だが、今回は移住が家族の生活や仕事にどのような影響を与えたのかについて筆者自身の事例も紹介しながら解説する。

小寺 良二

執筆者:小寺 良二

ライフキャリアガイド

筆者の家族写真@移住先の沖縄県石垣島

コロナ禍真っ只中に埼玉県から沖縄県石垣島に家族5人で移住して2年。見えてきたこととは(画像は、移住先での筆者の家族写真)

コロナ禍が働く人の生活に与えた大きな影響の1つに「リモートワーク」が浸透したことが挙げられる。オフィスへの毎日の出社は必要なくなり、自宅やカフェなどで仕事をする人も増えた。

リモートワークによって「住む場所」の自由度が高くなった。本社が東京であっても、都内や関東に住んでいる必要はなくなり、「地方移住」して生活の拠点を移した人も多い。筆者自身は元々フリーランスの立場であったが、コロナ禍に家族で埼玉県さいたま市から沖縄県石垣島に地方移住を決断した当事者の1人である。

移住して2年、子どもたちの変化から仕事への影響まで、ライフキャリアにおける「地方移住」の可能性について自身の経験も踏まえながら考察したいと思う。
 

移住のきっかけは屋久島で出会った「幸せそうな変な大人たち」

石垣島に家族で移住したのは2021年3月のコロナ禍の最中であるが、地方移住を検討し始めたのはそれより3年前の2018年の屋久島への旅だった。1人旅で訪れた屋久島だったが、たまたま縄文杉に向かう途中で出会った旅人の紹介で、ある集落で行われる地元のBBQに参加することが出来た。そのBBQには屋久島への移住者も多く参加していて、移住のきっかけや屋久島での生活を聞くことが出来た。

移住者の人々の印象を一言で言えば「幸せそうな変な大人たち」であった。森のガイドから学校の先生、飲食店をやっている人など職業はさまざまだが、みんなどこか幸せそうに見えた。なぜ幸せそうなのかはそのときは分からなかったが、ライフキャリアを豊かにする要素である「3つのW(What仕事、Whoパートナー、Where住む場所)」のうち、自分の好きな場所を見つけてそこに移り住めているというだけでWhere(住む場所)は満たされているのだろう。

そして移住者が多く住む場所はさまざまな人たちがお互いの違いを受け入れ合っている風土があり、個性的な(=変な)大人たちが多い印象を受けた。

子育ての指針など特になかったが、子どもたちには小さい頃からたくさんの生き方のサンプルを見せたかったし、人生は楽しいよ!というメッセージもなんらかの形で伝えたかったので「幸せそうな変な大人たち」に囲まれるのは良い子育て環境だと思った。

その後屋久島を含めて、鎌倉、軽井沢、大分豊後高田など移住者が多いと言われるエリアを2年ほどかけて視察。自然環境だけでなく生活や交通の利便性など総合的に考え、最後は、今子どもたちが通う小規模でアットホームな小学校との出会いもあり沖縄県石垣島を移住先に決定した。

コロナ禍真っ只中に、それまで住んでいた人口約120万人のさいたま市から人口約5万人の石垣島へ家族で移住することになった。
 

コロナ禍移住だから良かったこと、難しかったこと

移住した時期が2021年3月だったので、まだ世の中はコロナ禍で混沌としていた。学校も休校になったり、せっかく自然豊かな環境に移住したからこそ外で遊びたいのに気軽に出歩けない雰囲気もあったりした。

コロナ禍移住だから良かったことは、仕事は東京から離れてもオンラインで完結できたこと。以前は直接現地まで行かねばならなかったミーティングや研修も、遠い石垣島からでも出来るようになったのは大きい。ただ物理的な距離は精神的な距離にも影響すると感じたのは、当然ながら全体の仕事の案件量が減ったこと。筆者は企業研修などを仕事としていて、研修業界全体が厳しい状況でもあったが、わざわざ遠い石垣島に住む講師よりも、東京近郊に住む講師に案件を依頼する方が現実的なのは分かる。

また子どもたちはコロナ禍で学校行事なども十分に実施出来ない時期だったので、学校など新しい環境に溶け込むのに時間がかかった。友達の家にも気軽に行けない状況は、子どもたちにとっても辛かったであろう。コロナ禍で新しい環境に馴染むというのは親が思っていたよりも子どもたちにはハードルの高いことだった。

移住の目的でもあった「幸せそうな変な大人たち」は石垣島でも健在だった。かつ同時期にコロナ禍の中であえて遠い沖縄の離島まで移住して来る人たちはさらに「変な大人たち」が多く、以前記事でも紹介したバルーンパフォーマーのザーキー岡さんや大手広告代理店を早期退職して小学生の息子と2人で親子移住したサコーさんまで多くの移住仲間と出会うことが出来た。

このように、コロナ禍での移住だったからこそ得られた経験もあるし、通常ではする必要のない苦労もあった。
 

「アウェイ体験」も大切だが、「ホーム体験」はもっと大切

時期としては「コロナ禍移住」ではあるが、私たち家族の真の目的としては子どもたちにとってより良い環境を求めた「教育移住」であった。当時6歳、8歳、11歳の3人の娘たちにとって少しでも成長につながる体験になればと思っていた。

そんな中で強く感じたことは「ホーム体験」の大切さだった。

以前仕事で文部科学省の『トビタテ!留学 JAPAN』という留学促進プロジェクトの講師をしていた際にプログラムの中で学生たちに伝えていたのは「アウェイ体験」の重要性だった。自分のいる場所から飛び出し、アウェイな環境に身を置き、自分は何者なのか? と考えさせられながらその新しい環境に溶け込む経験をしなさいと。まさに留学で得られる成長体験なのだが、筆者自身も今回の移住が子どもたちにとって「アウェイ体験」になるので良いと思っていた。

しかし「アウェイ体験」以上にまず大切なのは、自分が安心できる人や場所がある「ホーム体験」なのだと感じた。

子どもたちにとって学校は、やはりこの島に生まれその学校に長く通う子どもたちが多数いるという意味で「アウェイ体験」となる。当然その子たちにとっては普通で当たり前に出来ること(伝統芸能など)も、うちの子どもたちにとっては初めてのことでうまく出来ないことも多い。どちらかというとこの2年間は友達から教えてもらったり、後ろからついていったりするような経験が多かっただろうと、親として申し訳ない気持ちにもなる。

しかし、『トビタテ!留学 JAPAN』などの研修で出会った教え子など、たくさんのゲストが石垣島を訪ねてくれ、そのときの子どもたちはイキイキとしていた。その瞬間だけは自分たちの方が石垣島においては先輩であり、自宅は安心できる場所なので「ホーム体験」となるからである。この2年での、島外からゲストが来た際の「プチホームステイホスト体験」が子どもたちにとても良い影響があったような気がする。

石垣島移住というコロナ禍でのアウェイ体験に挑んだ結果、ホーム体験の重要性と価値に気づかされることになった。アウェイ体験の重要性を長年伝えてきた筆者が、移住したからこそ得られた新しい知見である。これからもこの2つの体験のバランスを大切にしながら、成長を見守っていきたい。

>次ページ:移住先・沖縄県石垣島での生活の様子を見る
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