「子どもより自分」だった夫
ミナコさんが夫を「精神的に捨てた」のは、次女が急に高熱を発したときのこと。「熱が下がらず、次女の様子もおかしくなっていくばかりだったので救急車を呼ぼうとしたら、『近所にみっともないからやめて』と夫が言うんです。娘の命より世間体なのかと驚いたけど、私は救急車を要請しました。長女が4歳、次女が1歳だったころです。救急車には私が乗っていくから長女のことはお願いと言ったら『連れていって。オレ、明日、大事な会議があるんだよ。寝るから』と。長女を抱いて家を出ようとしたら、隊員の方に『ご主人にめんどうみてもらえないですか』と言われました。思わず『見る気がないみたいなので連れて行きます』と答えると気の毒そうな顔をされました。当然ですよね」
病院では「もう少し遅かったら命の保証はできなかった」とまで言われた。それを夫に告げると「ごめん」とは言ったものの、本当に反省しているようには見えなかったという。その後も夫の浮気に悩まされた。勝手に浮気しているだけならまだしも、「浮気相手と私を比べる発言が多かった」とミナコさんは言う。
「しかもわかりやすく言うんですよ。『40代になると女も脂肪だらけだな。20代はいいぞ、肌の張りも違うし脂肪もついてない』って。なんだか生々しいしえげつない。夫の言葉は無視するようになりました」
子どもたちが成人したら、とにかく離婚しよう。そう思っていたミナコさんだが、2年前に夫の重病が発覚。ほとんど自覚症状がないまま、ある日、気持ちが悪いと病院に行ったら、いきなりの余命宣告だった。
「本音を言えばホッとしました。離婚せずに別れられる。自分はとんでもない妻だと思いますが、少しでも早くいなくなってほしかった。思いがけない神様からのプレゼントだというのが私の本当の気持ちでした」
ミナコさんはそう言って涙を流した。夫の死が悲しいわけではなく、そう思わざるを得ない人生を送ってきてしまった自身への涙なのかもしれない。
「夫は気が弱いから真実を告げない。それはある意味で本当なんです。病床で暴れられても、さらなる暴言を吐かれても困る。でも別の意味で、余命は知らせない、死ぬ準備をさせたくないのも本音でした。ただ、今になると、夫の命は夫のものなので、告げなかったのは悪かったかなとも感じています」
夫は入院中、かなりわがままだった。足を何時間もマッサージさせられたこともある。娘たちのために帰ろうとすると物を投げつけたりもした。そして妻に感謝の言葉ひとつ言わなかった。
「それでも静かな最期だったのが救いでした。看護師さんに『奥さん、よくやったわ』と言われて初めて泣きました」
コロナ禍でもあり、ミナコさんと子どもたち、夫の両親ときょうだいだけで見送ったが、子どもたちにも涙はなかった。
「義妹が『お義姉さん、苦労したでしょう。あんなやつでごめんね』と言ってくれました。それで報われた気がしましたね」
家のローンは夫の保険で相殺された。ミナコさんはパートをかけもちしながらがんばっている。経済的には苦しいが大学生の長女もアルバイトをしており、女3人で仲良く暮らしているという。
「重石がとれたように3人とも笑顔で暮らしています。でもときどき、余命を告げないと決めたときの自分の黒い気持ちを思い出して、あれでよかったのかと思うことがあるんです」
それでも先を見て前へ進むしかない。夫の3回忌にそう誓った。そして自分の「黒い気持ち」を告白する決意をしたのだとミナコさんは硬い表情で言った。