助けられて生き直し
どこをどう歩いたのか記憶にないが、電車を乗り継いで大きな町に出た。「ビジネスホテルに泊まったんですが、荷物も持っていないから不審でしょ。すぐに警察に連絡されました。でも私、隙を見て逃げ出したんです。夜が明けるのを待って、関西に住む女友だちを頼りました」
ミチヨさんのことを心配してくれていた唯一の友人だ。彼女の元についてから三日三晩、ミチヨさんは眠り続けた。
「それからも生きる気力がわいてこなくて、友人が心配して病院に連れていってくれたりしました。結局、彼女の知り合いの女性弁護士さんが、いろいろ話を聞いてくれて、婚家に連絡をとってくれました。私は友人のところに居候状態。精神科に1カ月ほど入院したこともあります」
弁護士が義父と義弟のセクハラについて問題視したところ、家庭をないがしろにして勝手に出ていったのだから金を払えと騒いでいた婚家がおとなしくなった。弁護士から連絡がきただけで、婚家は大騒ぎになっていたようだ。
「どういう名目かわかりませんが、婚家から少しだけお金をもらいました。たぶん、子どもには二度と会わないと約束させられたような気がします。あのころのこと、あまり記憶がはっきりしていなくて……」
親権は夫に渡したのだろう。それでも友人と、その弁護士のおかげで彼女はなんとか死なずに生きていこうと思えるようになった。仕事を決めてアパートも借りた。そこで初めて、「子どもを置いてきた自分」に気づいたのだという。
「遺棄したようなものですよね。婚家から解放はされたけど、大事な子どもを残してきてしまった。あわてて上の子の幼稚園に行ったこともありますが、義母に見つかって追いかけられ、必死で逃げました。下の子はまだわからないかもしれないけど、上の子は私のことも覚えているはず。彼女にとって私はどんな母だったのか。自分を捨てた母親としか思ってないでしょうけど、子どもを取り返すことはできなかった……」
ずっと後悔してきたこの15年。一時期、再婚したいと思った人もいるが、自分だけ幸せを求めるのは間違いだと考え直した。だが、その人にも生きる勇気をもらったことに感謝しているとミチヨさんはつぶやいた。
上の子は19歳になっているはずだ。大学生なのか働いているのか、あの義父母はどうしているのか。自分は子どもたちに会える日が来るのか。
「一瞬の判断間違いをした。今はそう思っています。何も考えずに逃げるのではなくて、何か他に方法があったはず。でもあのときは周りがすべて敵だとしか思えなかった。一歩引いて、もっと早く友人に相談すればよかったんだと、どれほど後悔したことか」
“毒親”という言葉を聞くたびにドキリとする。自身が「究極の毒親」だと思っているからだ。親子がらみのニュースには耳を塞ぎ目を閉じる。ときおり、「消えてしまいたい」と考えるが、友人とあのときの弁護士は今も常に彼女を気にかけてくれている。
「もう何のために生きているかわかりませんが、いつか子どもたちに会えることを願って、そこに意味があると考えて生きるしかないのかもしれません」
その日のためにひっそりと暮らしている。彼女は小声でつぶやいた。