謝って、やり直したいと伝えたが
セイタさんは、さすがに自分が悪かったと思ったようだ。妻にはそのことを謝った。頑張って練習したことも知らなかったから、今度は聞かせてほしいとも頼んだ。「あなたがいないときしかピアノには触れていないの。文句を言われたり下手だと揶揄されたりしたら気分が悪いから、と言うんです。そんなひどいことは言わないよと言ったら、『あのとき、今さらやって何になるって言ったじゃない』と。だから悪かったと言ってるじゃないか、とまた険悪になりまして……」
妻は、夫に対して相当ストレスを抱えているようだ。結婚してから子育て時期にかけて、夫はまったく耳を貸そうとしなかったのではないだろうか。
「仕事が忙しかったから……」
口ごもるセイタさん。あなたはすぐに仕事に逃げていたと妻にも言われたらしい。
妻が生き生きしているなら、セイタさんも何か新しく趣味を始めてみればいいのではないだろうか。社外に友人ができれば、また別の楽しみも生まれる。
「そうなんですけどね……。僕はあまり人付き合いがいいほうではないし、知らない人の中に入るのも苦手で」
だったらひとりでできる趣味でもいい。何か楽しみを見つけなければ、妻に置いていかれるばかりだ。楽しいことを見つければ、妻と会話も弾むようになるかもしれない。
「妻が陶芸をやってみたいというから、僕もやりたいと言ったら、『どうぞ。あなたとは違う教室に行くから、どこに通うか教えてね』と言われました」
思わず噴き出しそうになった。妻はもはや自立していて、夫とともに時間を過ごそうとは思っていないのかもしれない。
「どうしたら妻と会話ができるようになるだろうと考えるんですが、いいアイデアがなくて」
週末に夕食を作って妻の帰りを待つのはどうだろうと提案してみた。週末、パートに行くと妻は惣菜を買ってくるらしいが、今日は僕が作っておくよと言ってみたら……。
「料理なんてしたことがないから」と後ろ向きだったセイタさんだが、その状況が続くと、それこそ熟年離婚になっても不思議はない。この場合、夫が変わらないと、夫婦関係は何も変わらない。
数週間後、セイタさんから料理の写真が送られてきた。
「青椒肉絲と、妻の好きな茶碗蒸しを作りました」と書いてある。今はスマホでいくらでも調理方法が検索できる時代。料理を作ろうと思えば誰でもチャレンジしやすいはずだ。
「妻は、茶碗蒸しをおいしいと言ってくれました。妻の仕事のことも少し話してくれました。否定するような言葉はいっさい言わず、黙って聞きました」
もし妻が、長年の恨みを夫に抱いているならこの程度で改善するとは思えないが、夫が歩み寄ろうとしていることは感じるはず。熟年夫婦の再構築は小さな一歩から始まるのかもしれない。