人間関係

優しくていい母の「いい子だから」教育の毒。常に“交換条件”で育てられた私が失ったもの(2ページ目)

【毒親の毒は消えない #11】「優しくていい母」だと思っていた。だけど本当は、毒ではなさそうに見える毒にじわじわとむしばまれていたことに大人になって気づく。30代女性が、そんな経験を語ってくれた。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

恋愛ガイド

愛する方法がわからない

母は無条件で愛する方法がわからなかったのかもしれないとシオリさんは言う。彼女は私立高校で出席日数が足りずに挫折して中退、その後、高卒認定試験を受けて大学に進学した。母はもう何も言わなかった。だからといって愛されているとは思えなかった。母に見捨てられたのだとシオリさんは感じた。
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「だから大学時代は友だちのアパートを転々としていました。大学2年からは彼氏ができたのでそこに入り浸って……。たまに帰宅しても母は腫れ物に触るような扱いで、目を合わせようともしなかった」

たまたまアルバイトをして得たお金で、母の好きなケーキを買って帰ったことがある。母と歩み寄ろうと考えたのだ。だが母は「悪いからいいわ」と拒絶した。いらないと言わずに、悪いからいいわというのが母のありようなのだとシオリさんは実感した。

「しかも、帰ってきてくれたからこれあげると母が差し出したのは、母が大事にしていたダイヤのネックレスでした。物でしか人とつながれない人なんだと思うと、やけに寂しかった。私はひとりっ子だから、同じ立場のきょうだいもいない。あとから知ったのですが、母は、私が祖父母だと思っていた人の養女だったんです。おそらく子どものころから周りの大人に気を遣いながら生きてきたんじゃないでしょうか。周りの友だちにも自分が好かれるために物をあげたりしていたのかもしれない。そういえば母が友だちの話をするのを聞いたことがないなとも思いました」

そしてシオリさんは就職し、堂々とひとり暮らしを始めた。仕事を通じて知り合った男性を本気で好きにもなった。26歳のころだ。

「学生時代の軽い気持ちの恋愛ではなく、この人と出会うために産まれてきたんだと思えるような相手だったんです。付き合うことにはなったんだけど、私、彼にどうやって好かれたらいいかわからなかった。それで彼の部屋に行ってせっせと料理をしたり家事をしたりしたんですよ。そうしたら彼が『僕は別にシオリに家事をしてほしいわけじゃない』って。じゃあ、どうしたらいいの、どうしたら関係が深まるのと聞くと、『普通にしていればいいんだよ』と。その普通がわからないんですよ。交換条件で育っているから、私も何かして彼の役に立たなければいけないと思い込んで尽くしてしまう。でも尽くすのは苦しい。そのうち、自分が自分でいられない気持ちになって別れてしまいました」

恋愛ができない。人を好きだという気持ちを育てていくことができない。シオリさんは落ち込んだ。

「これも母の悪影響というか弊害だと思いました。人を好きになるのはどういうことか、好きになったらどうすればいいのか。一から訓練しないといけないと思い、カウンセリングを受けました。今でも不器用ですけど、ようやく感情を言葉にしたり愛情表現をしたりする大切さがわかってきたところです」

母とは今もほとんど連絡をとっていないが、いつか自分が母を受け入れられる日がくれば実家に帰ってみようと思っているという。
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