母はさらに依存性質になっていた……
15年ぶりに、母と同居を始めたカホさん(40歳)。2歳年上の夫と娘との3人暮らしに、母が飛び込んできたのは3年前。娘が10歳のときだった(カホさん母娘の同居時代を読む)。「越してきた初日、母は私たち家族に『これからよろしくお願いします』と殊勝にも頭を下げたんです。娘にはおみやげまで買ってきて。この15年で母も変わったのかと思いました」
ところが母は変わってはいなかった。 「夫と共同名義で30代初めに中古マンションを購入したんです。建物は古いけどリノベーションしたので家族3人なら広々として住みやすかった。間取りは3LDK+サービスルームという感じ。子どもがもうひとりできたら、サービスルームを子ども部屋にするつもりでした。夫も私も会社員だけど、家で仕事をすることもあるので夫婦は別室にしていました」
そのサービスルームをきれいにして母の部屋にした。ところが越してきた翌朝、夫と娘が出かけた後、母はいきなり文句を言い出した。
「私の部屋、日当たりがよすぎるのよね。それに狭いわ。あんたの部屋と取り替えてくれない? そもそも夫婦で別室って、あんたたち仲悪いの?」
無遠慮にもほどがあると、カホさんは憤った。
「今まで私が、お父さんとお母さんは仲が悪いの?と尋ねたことがある? いくら親子でもプライバシーには踏み込まないで。ついでに言えば、私たちはお母さんたち夫婦より仲がいいです、私は娘を支配もしていませんって言ってやったんです。すると母は『娘を支配って何言ってんの?』とぽかんとしていました。母には自覚がなかったんですよね、私を支配しているという自覚が」
そのとき、カホさんは嫌な予感がしたという。これからの生活がどれほど困難なものになるのか予測できたのだろう。
「母は昼間ひとりでいるとき、娘の部屋や私の部屋に入るようで、けっこう細かくダメ出ししてくるんです。私は2週間でブチ切れしました。『もうお母さんとは暮らせない。近くにマンションを借りるからそこに住んで』と言ったんです。そうしたら母はさめざめと泣き、娘や夫に泣きながら、ひとりになりたくないと訴える。夫と娘は『いいよ、おばあちゃんにはいてもらおう』と。それ以来、母のターゲットは私だけになりました」
何時に帰ってくる? 夕飯は何? 仕事の最中にそんなLINEが続々と入ってくる。仕事中は返信できないと言うと、今度は会社に電話をかけてくる。営業妨害で会社が訴えるからと脅すと泣き出す。
出勤しようとすると、「あんた、その服、似合わないわね」と言うことも多々あった。
「いつでもネガティブな言葉はよくないけど、特に出がけはやめてほしかった。その日のテンションが下がりますから」
その後、カホさんは母と言い争いになったとき、自分がいかに毒母に苦しめられてきたか、どんな思いで今この家族を大事にしているか、そのチームワークを乱しているのはあんただ、と母に思い切りぶちまけた。
「あんた呼ばわりされたことがショックだったみたいですね。毒母だという自覚はないから、最初はヘラヘラしていましたが、最後に『あんたなんか引き取りたくなかったのよ、私は』と言ったら顔色が変わりました。そして、お願い、カホちゃん、私を捨てないでと駄々っ子みたいに床に寝転がって……。こちらがどう出るか様子をうかがいながらだから、子どもよりタチが悪い」
母は当時、60代前半。まだまだ若い。家にいるなら買い物に行ってほしい、働きに出ることだって可能だし地域のサークルに入って友人を作っても……と、カホさんは母の意識を外に向けようとした。ところが母は、何もしようとしなかった。
「考えたら、母は実家近くにも友だちひとりいなかった。社交性がない、社会性がない。人の間に入ったこともほとんどない。彼女の感覚では、私はずっと小さいころのままなんですよね。自分の好みの服を私が着ていると、『カホにはやっぱり、そういう明るい色が似合う。かわいいね』と言うんですよ。アラフォーの人間をつかまえて『かわいい』というのが気持ち悪くて」
カホさんのストレスはたまる一方だった。
1年で降参、母を「追い出す」と決めた
それでも時間がたてば、自分のほうが母になじめるのではないかとも思っていた。だが、15年のブランクと、もともとの折り合いの悪さもあって、母という人間がますますわからなくなっていったという。「夫が仕事で遅くなる日が続いたとき、娘の前で『ねえ、彼、最近遅いね。浮気でもしているんじゃない?』『男はちょっと目を離すと浮気するからね、あんたは身の回りをかまわないから、女として飽きられてると思うよ』なんて言い出して。私に依存するかと思えば、やたらと否定的になる。昔のままなんです。娘の前でそんなこと言わないでほしい、夫は誠実な人、あんたの夫とは違うよと言ってやりました。私、ふだんはそんな乱暴な言葉遣いをしないので娘が私に怯えているのがわかった」
このままではいけない。自分と娘の関係にヒビが入りかねない。同居して1年が過ぎたころ、カホさんは決意した。母と別居しよう、と。
遠方にいる妹とも連絡をとったが、妹は「お姉ちゃんの好きにして」と言うだけ。ある日、カホさんは夫と娘を近所のレストランに誘った。
「夫は『お母さんはいいの?』と気を遣ってくれたけど、今日は3人で話したいと言いました。母にも何か勝手にご飯を作って食べてと言い置いて。3人になったところで、なるべく冷静に私の気持ちを白状しました。昔から母には支配されていると感じていたこと、母が私の人生を邪魔してきたことなどなど。夫はそれでも母親は母親でしょと言っていましたが、娘は『私、おばあちゃんとお母さんのやりとりが怖い』と泣き出したんです。すでに娘にも悪影響があったんだと実感、母を追い出すことに決めたんです」
母には実家を売ったお金もあるし、父の遺産もそれなりにあるはず。カホさんはいくつか有料老人ホームを探してきて、母にどこかに入るようにと告げた。
「カホちゃんだけが頼りなのにとまた泣き出したので、もうその手には乗らない、私は自分の家族が大事だから、おかあさんとは距離を置きたいときっぱり言いました」
母もついに諦めたのだろうか、あるホームに入居を決めた。ところが入居から半年もたたず、母は亡くなった。
「コロナに感染したようです。それが死因かどうかはわからないけど。寝覚めが悪いのは確かですが、後悔はしていません。冷たい人間だと思われるかもしれないけど、私の人生や家族が崩壊する前に別居できてよかったと思っています。うまく同居できなかったのは、母のせいですからね……。唯一、後悔があるとしたら、なぜ同居してしまったのかということ。あのまま母がひとり暮らしだったら、もうちょっといい関係になれたかもしれない」
おそらく、彼女の心は苦いものでいっぱいなのだろう。カホさんの顔が歪んでいた。いなくなってまで、娘にこんな思いをさせる母親の存在とはいったいなんなのか。そんなふうに思わざるを得なかった。
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