犬が理由で別れた過去
「実家でも犬は家族だったし、東京でひとり暮らしをするときも犬のいない生活は考えられませんでした」そう言うのはアサミさん(33歳)だ。大学入学時に上京したが、学生時代はどうしても飼うことができなかった。だから月に1度は3時間かかる実家に帰省、小学生時代から一緒にいた犬との時間を確保していた。
「私の就職が決まったとき、その犬が13歳で死んでしまって。こんな悲しい思いをするくらいならもう二度と犬は飼わないと思ったんですが、社会人になったら、ワンコと一緒に暮らしたいが口癖になりました」
職場の犬好きの先輩が紹介してくれ、保護犬を譲り受けた。手間はかかったが、1日1日と信頼関係を築いていっている手応えがあった。どんなに仕事が忙しくても、寝る時間を惜しんでも朝は必ず散歩に出かけた。
「私が疲れ果てて帰ってくると、すっと側に寄り添ってくれる。でも日中、ひとりにしておくのがかわいそうで、2年ほどたったときもう1匹、子犬を譲り受けました。ワンルームマンションですから、私の寝る場所なんてなくて、家はワンコに占領されていましたが、やはり犬と一緒だと心が落ち着くんです」
仕事への意欲もわいた。「この子たちのためなら」と張り切って仕事をすることができる。子どもの頃から犬のいない生活は考えられなかったから、恋愛相手も犬好きではないとむずかしいと彼女は思っていた。
20代後半にさしかかったとき、社内のレクリエーションで親しくなった他部署の男性がいた。
「ときどき仕事帰りに食事をするようになったんです。私は友人という認識だったけど、あるとき彼から『つきあってほしい』と。それまでに犬の話もさんざんしていたので、大丈夫だと思ってOKしたんです。何度かデートしているうちに、彼が『きみの家に行きたい』と言い出したので連れて行ったら、『犬をケージから出さないで』って。どうしてと尋ねたら、実は犬が苦手なんだ、と。今さら苦手って何それ?って感じですよね。一緒に犬を抱きながらまったりしたかったのに。犬が苦手なら最初からつきあわなかったと言ったら、彼も怒って帰っちゃいました」
アサミさんにとっては、どうしても譲れないポイントなのだ。
妻バレしたことも……
29歳のとき仕事で知り合った一回り年上の男性と恋に落ちた。「彼には家庭がありました。だから恋愛する気はなかった。でもだんだん思いが募ってしまって私から告白しました。離婚してほしいなんて言わない、少しの期間でいいからつきあってほしいと。彼も躊躇していましたが、『女性にそこまで言わせて申し訳ない。実は僕もあなたが好きだった』と言ってくれて。最初のうちは食事をしてホテルに行っていたんですが、彼の給料もだいたいわかり、いつしかうちに来ればということになって。彼は犬が大好きなんです。犬のほうもわかるんですよね、彼にすっかり懐いて」
洋服に犬の毛がついたら大変だからと、彼女は部屋着を用意した。男女としての関係だけでなく、ふたりは犬を通じてお互いを理解しあっていった。
「彼は子どものころから隣の家の犬と仲良しだったそうです。だけど彼が小学校に入ってしばらくしたころ、その犬が体調を崩した。そうしたら隣の家の人が安楽死させてしまったんだそうです。『治療できたはずなのに、お金がかかるから処分したと言っているのを聞き、僕は隣のおばさんに殴りかかりそうになった。母親が止めなかったら何をしていたかわからない』。そんな思い出話をして涙ぐむ彼が好きだった……」
彼の洋服は玄関に置いておき、帰りには必ずチェックして犬の毛がつかないようにしていたのに、1年ほどたったころ、知らない番号から電話があった。
「あなた、犬飼ってるんでしょ。うちの主人の背広に犬の毛がついているのよ。人の夫を盗むなんていい度胸してるわねって、電話口で叫ばれました。彼からはまったく連絡がないまま。妻に別れるよう言われたんでしょうね。電話を受けた時点で、彼と別れるしかないと覚悟は決めたけど、本人から一言あってもいいですよね」
その恋がぶった切られるように終わってから3年近くたつが、アサミさんはなかなか立ち直れずにいる。最初に迎えた犬は、1年ほど前、静かに旅立っていき、彼女はまた新たな保護犬を迎えたばかり。
「犬好きの独身男性と恋できる日は来るんでしょうか。犬がいるから寂しくはないんですが、犬と気持ちが通じ合いすぎると人間と付き合うのがめんどうになってしまって。このままでいいんだろうか。そう思いながら日々過ごしています」
犬が好き。とはいえ、「好き」の濃淡には個人差がある。そこをどうやって尊重しあえるかが重要なのかもしれない。